紋谷のソコヂカラ

バリ島な話し [旅/土地]

投稿日時:2008/11/10(月) 23:03

~ サヤスナン・パルティマカリィー・
  オラン・スーバイ・アンダー ~
 

 
寒くなると…バリ島に行きたくなる。
寒くなくても行きたいのだから、
寒くなればなおさら。
 
いろいろな国を旅してきて、思うことですが、
「また、訪れたいな」とは思う場所はあっても、
「いつか、ここに住みたい」とまで感じる場所は、
なかなかありません。
 
バリ島は、僕にとってはその唯一の場所です。
だから、バリ島に行くときは
「帰る」という気分になります。
 
それは、日本で僕が生まれた故郷と同じ感覚かと問われれば、
それは明らかに違う感じで、
原点回帰…ルーツに戻るというのではなく、
ただ、最後はこういうところで人生を終えたら幸せだろうなあ…
という漠然とした感覚が深くあります。
 
こういう思いを抱くということは、そうそうないことで、
その意味では、この島を知ってよかったとつくづく思うわけです。

 
バリ島を僕と同じように感じて、
永住している日本人は、数多くいます。
また、動機は違っていても、
実際に住んでしまった日本人も多い場所です。
 
何日か滞在すると、そんな日本人に何人も出くわします。
また、そこまでいかなくても、
いまでは、ハワイと双璧の
「日本人がリピートする海外のリゾート地」ですから、
回りを見渡せば、一度は訪れたことがある方が必ず何人かはいます。
 
そして、その中には、…「期待と違った」…
「一度でいいや」 という方も大勢います。
こういう方の多くのパターンは4つ。
 
ひとつめ 
「モルディブやグレートバリアリーフのような
海に出会えると勘違いしている方」
 
ふたつめ 
「東南アジアの猥雑さに心惹かれ、
バンコクの裏町をこよなく愛する方」
 
みっつめ 
「アユタヤやアンコールワットのような、
ヒンドゥや仏教の寺院遺跡に惹かれている方」
 
よっつめ 
「DFS…命の方」
 
まずひとつめ、
南部…特に観光のメインエリアのクタ・レギャンあたりから、
バドゥン半島のの反対側のヌサドゥアや
付け根のサヌールあたりの海は、
決してエメラルドグリーンではありません。
もっといえば、バリ島の反対側…
車で100Km南のロヴィナビーチにしても、
モルディブのような、限りなく
透明の珊瑚の浅瀬などを目にすることはできません。
 
そうですねえ~
遠州灘の遠浅の海といった風情…
こういうと夢も希望もありませんが、
少なくとも、ハワイのワイキキの浜辺くらいを想像していたら
…そのギャップに相当戸惑います。
 
もちろんダイビングはいたるところでできますし、
サーファーの島でもありますから、
マリンスポーツは盛んですが、クタの浜辺に、
白い砂浜とパームツリーと海の青を求めてはいけません。
 
もちろん、海に漕ぎ出して、陸地から離れ、
近隣のレンボガン島やロンボク島まで足を伸ばせれば、
その様子は変わります。
どうしても味わいたい方は、そのつもりで、1日は、
スケジュールに組み入れる必要があると認識してください。
 
ふはつめ、
よこしまな思いで訪れるおっさんには、物足りない場所です。
サヌールにはいわゆる「娼婦の館」なるものが存在しますが、
ベトナムやタイ、韓国やフィリピンの作り上げた
欲望地帯はここでは無縁。

ちなみに、インドネシア人の男性は“女の子”大好きです。
そこだけに限れば、「東洋のイタリア人」といっても
差し支えないくらいに。

そして、そのターゲットは「ニホンノオンナノコ」なのです。
レギャンあたりの安宿に泊まると、
深夜、ホテルのフロントあたりで、
バリの男性と日本の娘とのバトルを目にします。
「ドウシテ…ヘヤニイッテハ、ダメ?
  …ワタシイチニチ、キョウコ二、ツキアッタ」
「ええっ!?そんなあ…感謝しているわ…ありがとう…
 でも、それとこれとは…」
「ナゼ?ワタシ…キョウコノコト…スキ」
「そ…そんなあ…今日あったばかりで…そんなぁ…困るわぁ~」
「スキナモノハスキ…ダカラ、イチニチ、キョウコトイタ」
「………」
「キョウコハ、ワヤン…スキジャナイカ?」
「…いやあ…いい人だとわ思うけど…」
「イイヒト…キライカ?」
「…えっ……そういうわけじゃあ…」
「…」
 
深夜、正々堂々、真っ向から挑む、
バリの青年の潔さと粘りにはいつも感服します。
で、翌朝、クタレギャン通りを、
手をつないで歩いていたりしますから…
もう…おみそれします。

そう考えると、日本人のおっさんには物足りなくても、
日本人の娘さんにはパラダイスかもしれません。
 
みっつめ、
首都ジャカルタのあるジャワ島には
「ボロブドゥール」と「プランバナン」という
インドネシアの2つの世界遺産である、寺院遺跡がありますが、
ともにスケールは小さく、バリから飛行機に乗り
1日かかりで訪れるには、物足りない。
いわゆる「世界遺産を観に行こう」的な感覚には向きません。
ただ、バリは「バリヒンズー教」。
信仰の精神は深く、島全体に大小あわせ、200ものお寺があります。
そういう場所では毎日どこかのお寺で、
村の行事としての「お祭り」が行われています。
寺院を建造物として眺めるのではなく、
そこに暮らす人々の「生活に密接した慣わしに触れる」
という意味では、これほど適した島はありません。

僕などは、島の田舎を巡っていて、
こういうセレモニーに出会うと、必ず中に入れていただきます。
サロンさへきちんと巻いていれば、
浄土真宗を、お盆と法事にしか生かせていない…
こんな日本人でも、意外と快く参加させもらえます。
 


よっつめ、
バリ島は観光の島、外貨獲得の為の
タックスフリーの大型店は数多くあります。
しかし、その品揃えはお粗末。
有名ブランドのショップがあっても
「ニューアライバル」な品はほとんどありませんから、
目端の利いた、東京のお嬢さんには物足りないこと請け合いです。
また余談ですが、アジア諸国おなじみの
「コピー製品」を売るショップも、
目抜き通りに堂々とあったりしますが、
中国や韓国あたりのどこか卑屈な感じはなく、
明るく大らかに売っていたりするのが日常で…笑えます。
 
バリといえば“雑貨天国” 高級品には興味がないけど、
安くて可愛いものなら歓迎よ。
という女性には楽しい町です。
日本人一番人気は、「家具」。
クロボカン~スミニャックあたりには、
工場を備えたショップが点在していて、
日本で買う1/4らいの値段で手に入ります。
もっとも大型家具は、その重さで、船便の送料がかかります。
どうしても欲しいものなら、交渉したり、
まとめたりの労をいとわなければ…
安くて良いものが手に入ります。

僕も、以前、銀座の店用に買い付けしに行き、
巡り歩きましたが、それはそれで楽しい時間でした。
 
このような、よっつの誤解をクリアーしてなお、
バリ島を訪れ、なおかつ「また行きたい」と思った人は、
「バリにハマる人」です(笑)
 
バリ島東部のチャンディダサ…
ここは、メインエリアのクタあたりからだと、
車で1時間半くらいかかります。
 
4泊5日のツアーでは、ほとんど組み込まれないエリアです。
町らしき町はなく、海岸沿いに、大型のホテルが点在しています。
また護岸工事を長いことやっているため、
砂浜もなく、滞在するホテルの中で過ごすか、
ここを拠点に出かけるか…
そんな場所ですから…
あいまって、日本人はほとんどいません。
 
このチャンディダサをこよなく愛する日本人がいます。
 ひとつのホテルのレストランで、晩飯を食っていた時の事…
 
「失礼ですが…日本人の方ですか?」と声をかけられた。

そのホテルで日本人を見かけることが…もう数年なかったので、
懐かしく、思い切って声をかけてくださった…という。
白いパンツにピンクのシャツ。
さらけ出した胸元には、金の鎖のペンダント。
どっしりとした体躯は全身真っ黒。
肌はつやつやしていて、抜けるような笑顔の……おっさんです。

聞けば、8年前に姪を訪ねて遊びに来て、
気に入ってしまい、以来、年の1/3は、
ここチャンディーダサの、このホテルの、
しかも同じ部屋に滞在しているといいます。
 
「会社を息子に譲ってね…
はじめはハワイに永住しようと思ったんだけど…
ここに来てさ…そのへんの漁師のアンちゃんとさ、
釣りしてたら…
居心地よくてね…
それで」と。
そのまま、一緒に飲むことになりました。
 
ホテルのスタッフから「パパ」と呼ばれるほど、
同化してしまっている彼は、
それなりのレストランにも関わらず、
シェフを呼びつけ、今朝、自分で釣ったという魚を揚げさせ、
支配人を同席させ、漁師仲間も招きいれ…
結局、その晩、彼のコテージの部屋まで、
みんなで押しかけ、宴会となりました。
 
こう書くと、なんか、お大臣様を想像されると思いますが、
決してそうではなく、
立派な年金生活者。

お金を贅沢に使うために過ごしているのではなく、
朝早く起きて、漁師の仲間と海に釣りに出かけて、
戻ったら、そのホテルでなんとなく、ボーッとしてたり、
わいわいしてたり、するそんな日常を楽しんでいるのです。
 
ホテルの朝ごはんに出るパンを、
漁師のあんちゃんにあげたり、
駄菓子屋で買った飴を子供へのおみやげと持たせたり、
慎ましやかで自然な立ち居振る舞いなのです。

夜も、高い酒やつまみなどはなく、
現地の密造酒まがいの安酒と乾き物、
彼を慕って集まった漁師たちとの会話
(といっても、彼は英語もインドネシア語もほとんど話せません。
それでもみんな楽しそうにしています)
それに加えて、海の音と満点の星と…そんなんで足りるのです。
 
その姿を見て、僕は、うらやましくもあり、
また、この姿は自分が求める暮らし方とは違うかも…
とふたつのことを感じました。
 
前者はそのままの意味。
後者は…チャンディーダサのこのホテル限定では、
僕なら飽きてしまうという意味です。
 
とはいえ、なかなか愉快な出会いです。 
次にバリに行くときは、このホテルまで足を伸ばして、
またお会いしたいと思いました。
なにせ、彼が持参した、唯一の高級酒「山崎」を
僕がほとんど飲んでしまいましたから。
 
もう何度目かのバリ島…
今から17、8年前は、
マウンテンバイクを担いで訪れたことがあります。
 
この時は、バリ~シンガポール~マレーシアという
スケジュールを組んでいて、
バリ島には1週間くらいの滞在予定でした。
 
入国の税関で

「オマエ コノジテンシャ ウルノガ、モクテキダロウ」
と言われ、奥の事務所まで連れて行かれました。
 
新品だったことが、わざわいしたようで…
それにしても、友人と2人で2台。
商売にはあまりにもありえないシチュエーション、
どう考えてもおかしい。
 
…見ていると、紙切れに
「スペシャルタックス」と書いた紙をやりとりしている。
なるほど。

…やましいところはない、あくまでも突っぱねてやる…

「バリは自転車が似合う国。
 車じゃ、早すぎる。 
 もっとゆくり楽しみたいから、持ってきたんだ」
 と説明していると、事務所の奥からボス登場。
 
「オマエはトライアスロン好きか?」
と意味不明な質問。
 
「嫌いじゃないが…やったことはない」
と答えると。ニヤリと笑い
 
「オレはトライアスロンの選手だ」
と威張るので、
 
「おお!それは素晴らしい。
 スポーツマンの中のスポーツマンだな」
とおだててみると
また、ニヤリと笑い

「インドネシアにようこそ」
と釈放された。
なんだか釈然としなかったが、
とにかくそんなこともあった。
 
バリ島には、鉄道と言うものがないので、
移動手段はバイクか車となる。
 
でも、ちょっとした散歩や、田舎道を巡りたい時などは、
自転車がよく似合う。
ゆっくりとペダルを漕ぐ、
そんなスピードが気持ちのよい場所だ。
 
その旅では、クタからデンパサールを経て、
ウブドゥまで、往復120Kmを1日走った。
目的地は「ネカ美術館」僕の大好きな場所。
 
片道60Kmを越える行程は、なかなかにハードで、
特にウブドゥに近づくに従って、道は坂道が多くなり、
凸凹なロードとなる。
 
緑や田園風景に、足を止めて休憩していると、
地元の小学生などが通り過ぎてゆく。

「スラマツパギ(おはよう)」
「パギ~」 

頭にお供え物をのせて、正装した集団も見かける。
村のお寺のセレモニーだ。
みんな笑いながら…笑顔の行進は見ていても飽きない。
途中、休憩に道端のお店による、
お店といっても、看板もなければメニューもない。

プラスチックの椅子に腰を下ろし、
大して冷えてもいないビンタンビールとナシチャンプルを頼む。
ろくすっぽ味もしないが、
薬味の唐辛子を混ぜてかき込むと…これがうまい。

「エナ スカリ(うまいねえ)」
というと、店のおかみさんが、

「コンナモノガウマイノカ、ヘンナニホンジンダ」
…というような顔をしている。
 
たぶんこういうことが僕が好きな理由だ。
車での移動は、気さくなトランスポーターの
スカウトにかかっている。
 
バリ島では、タクシーの運ちゃんと個別交渉すれば、
翌日から個人タクシーに早替わりとなる。
どこまでいくら 
…半日いくら 
…特に、最近は何人かで訪れることが多く、
中にはバリ島初めてと言う輩もいたので、
目的地までみんなで移動するには、
このスカウティングは欠かせない。
 
いったん仲良くなると、バリの男は気持ちが良い。
初めは、お金持ちニホンジンでしかないが、
たぶんそういうことを計算してばかりいるのが
面倒臭いのだろう…
長い時間一緒にいると、すぐに友達の関係になってしまう。
 
これには、こちらのスタンスも大切で、
なんでもお任せニホンジンと、見られたままだと
どこまでいっても、最後はサヌール(前述)や
キックバックの入る中華料理店に連れていこうとする。
 
旅の都度、ひとりはバリのトランスポーターと仲良くなる。
家にまで連れて行かれたこともあるし、
一緒に、朝まで飲んだこともある。

そうやって知り合ったバリ人なのだが、
次の旅行の折に訪ねようとすると、連絡先が変わっていたり、
引っ越していることが多く、
再会を果たせないでいることがほんとうに多い。
 
まあ、小さい島だから…
いつかどこかで会うだろうと…あまり気にもしていないが。
 
インド系のバリ人のシモンも、そんなひとり。
奥さんが雑貨屋さんを経営していて、
その店が僕の定宿の目の前だったせいで、知り合った。
 
何日か一緒にいたある日、
彼が実家のあるヌガラ(クタから西に100Kmくらい)に
帰ると言うので、一緒に付いて行ったことがある。
このバリ島の西の地域も、
観光目的の日本人はほとんどいない。
 
ただ、いい波がたつという場所で、
サーファーたちは近所のロスメンなどを
ねぐらにして波乗りをしに来る場所。
 
彼の実家は、ヌガラから北に20Kmくらい、
山の上の村にある。
なんと、親父さんがその村の長老で、
今の実家は人に貸しているという。
 
その家とは別に、兄弟とおばあちゃんが住むという
家に着くと、そこは、山の上。
バリ海を遥かに望み、見下ろすと一面の広大なやしの木の森、
その中に寺院があり、そこからガムランが聞こえてくる。
なんとも、不思議な感覚を覚える景色。
 


長老の実家といえど、粗末なあばら家がわずかな敷地に点在する、
いわゆるインドネシア様式の家。
真ん中の小屋に腰を下ろしていると、
冷ご飯と香辛料をまぶした、アジの塩焼きが出てきた。

お昼ごはん。

これがまたうまかった。
…奥さんにレシピを書いてもらい、
クタのスーパーマーケットでその香辛料を買い、
日本に戻って作ってみたが、どうもうまくいかなかった。
 
その翌年にまたシモンとは出会えたのだが、
またその翌年…は出会えなかった。
奥さんの店もなくなっていて携帯も番号違い
…どこでどうしているのだろう。
 
 
テレマカシー…
これはインドネシア語で「ありがとう」の意味。
バリ語では「マトゥールスクサムー」という。
 
バリではこちらのほうが、相手には伝わる。
何かちょっとした「ありがとう」でも、この言葉を使うと、
相手の態度や表情は、とたんに柔らかく、優しくなる。
 

サヤスナン・パルティマカリー・オラン・スーバイ・アンダー
とは、

「あなたのような素敵な方に、ワタシは初めて出会った」

という意味。
 
初め、この意味の日本語を、バリの言葉に訳せと言うと、
友人のマーデーは
 
「もんやは ほんとにへんなことばかり言うなあ。
 そんなこと他の日本人誰も聞かないよ」と言う。
 
「女の子口説くのか」とも言う。
 
そうじゃあない。 
出会えたことに喜びがあれば、
それをちゃんと伝えたいし、
そういう出会いにしたいから。
 
というと、ヘン顔をして、
それでも30分くらい考えてくれて
…言葉をひねり出してくれる。
 
日本語のニュアンスを正確に翻訳するには、
インドネシアやバリの言葉では語彙が足りないのです。
だから、多少、長くもなる。
 
そんなこんなで、バリ島に通って…もう30回近くなります。
 そろそろ、「今後のお付き合いをどうするのか」
決めなければと思っています。
 
これは、観光に行くには、行き過ぎたという意味であり、
それでもなお、また帰りたいなあ~と強く焦がれる
場所であるからです。
 
また、今の状況では、なかなか行けない日々ですが、
人生なにが、どうなるかわかりません。
いろいろうまいこと転がって、
近い将来、みんなとワイワイと
バリ島に行きたいなあ~と思うのでした。
 
年末にバリに行こうかなあ~なんて言う人は一報ください。
絶対に楽しい、プラン組みますから。




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