紋谷のソコヂカラ

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平成24年12月20日(木) 13時2分[紋谷のソコヂカラ]

投稿日時:2013/01/07(月) 22:11


 平成241220() 132分、

 紋谷税さんは入院先の
 神奈川県立がんセンターで亡くなりました。

 10日前に51歳になったばかり。
 入院からわずか半日の、

 近しいものにとっては「急逝」でした。

 紋谷さんは、このブログを

 「きちっと終わりにしたい」
 と言っていました。


 「もう長い文章を書くのは無理なので、
  篠塚さん、聞き書きでお願いします」

 と言われていました。


 しかし、
 その機会が訪れぬまま、
 最期のときが来てしまいました。


 紋谷さんを応援し、
 気に懸けてくださっていた方々のために、

 篠塚が彼の最期の様子をここに記し、
 ブログの締めとさせていただこうと思います。

 紋谷さん、それでいいよね。
 

 長い長い話になりますが、
 できるだけ詳細に記したいと思います。

 

 【1210()
  紋谷さん、誕生日にはしゃぐ
 

 紋谷さんは10月から要介護の認定を受け、
 自宅で過ごしていました。

 食欲が落ち
 (正確には
 「食欲は強烈にあるものの、
  食べ物がのどを通らない」)、

 筋力が落ち、移動には車いすを頼る
 ようになっていましたが、

 お馴染みの“紋谷節”は健在でした。

 「自分は、51歳になってしまうんですかね?」と
 自虐的な笑いと共に話していた紋谷さんは、
 1210()にしっかりと誕生日を迎えました。

 この日はごく内輪の人間が集まって、
 簡単なパーティを開きました。

 紋谷さんは後輩の西谷君にカニを買ってこさせ、
 「毛ガニはオレのものだ!」と言いながら、

 珍しくはしゃいでいました。

 (西谷君は、このブログ上で毎年末、
  映画評論対談をしていた相方です)

 実はその前日にも何人かが紋谷家を訪問。
 菊池君一家には「老舗旅館の朝食が食べたい」
 と注文し、

 しかしわざわざ持参された料理には手を付けず、
 冷蔵庫にあった納豆でご飯をおかわりして
 食べました。

 

 この2日間に、はしゃぎすぎたのでしょうか。
 翌日からの紋谷さんは少々疲れ気味でした。
 11日にもらったメールには

 「今朝から 苦しい
  空気足りない症候群です」

 と書かれていました。

 


 【1216()
  投票を断念


 この前日に酸素吸入器を
 付けることになった顛末は、

 紋谷さん自身がフェイスブックに
 投稿している通りです。

 そして日曜。

 以前から

 「今回の選挙はぜひ投票したいので、
  介助してほしい」

 と言われていた私は

 紋谷家を訪れました。

 

 「こんなの付けられちゃったんですよ。
  意味あるのかなぁ」

 このときにはまだ、紋谷さんは
 吸入器を付けたり外したりしていました。

 けれど、こんなの無意味に付けるわけがない。
 酸素吸入器を外し、
 車いすで投票所まで行くのは、

 すでに紋谷さんには
 かなり勇気のいる行動になっていました。


 「今は、ちょっと無理です。
  でもギリギリまで様子を見たいので、
  時間をください。
  で、その間、篠塚さんは
  『みんゴル』をやってください。
  お願いします」


 よくわからないのだけれど、
 11月の後半から、紋谷さんはやたらと
 『みんなのゴルフ
6』を
 やりたがるようになりました。

 発売前に
Amazonに予約し、
 それが発売日に到着しないと
 私をゲーム屋に走らせ。
 最初は対戦モードで遊んでいたのですが、
 この頃には、もうゲームをするのも
 つらい状態のようで、家に行くたびに

 「篠塚さん、『みんゴル』お願いします」

 と言っていました。
 ええ、誕生日にもやらされました。


 17時。紋谷さんは、

 「ちょっと自信がないので、
  投票はやめにします」

 と言いました。


 「その代わり、篠塚さん、
  すき焼きを作ってください」

 とのこと。

 「高級な肉をお願いします。
  ただ僕は赤身が好きなので、
  あまりサシの入っていないものを」

 …そんな高級牛肉、あるのかよ。
 しかも近所のスーパーに。

 とにかく材料を買いそろえ、
 冷蔵庫にあったすき焼きのたれを
 「これを使えばいいですかね」と差し出すと、
 ペロリと味見した紋谷さんは


 「ダメですね。
  酒と砂糖と醤油を入れて、
  好みの味にしましょう」

 と言います。

 コショウだ、七味だ、なんだかんだと
 注文されるたびに
私は台所へ取りに行き、
 ベッド横のテーブルに運びます。

 そうやって立ったり座ったりしていると、
 紋谷さんは

 「篠塚さん、落ち着いて
  ここに座ってください」と怒ります。


 …自分が取ってこいって言ったくせに。

 出来上がったすき焼きの、
 焼き豆腐と肉を一口だけ、
 紋谷さんは食べました。

 

 

 【1218()
  
アロママッサージを堪能する

 この日は、私と後輩の鈴木伸子とで
 紋谷家に出かけました。

 紋谷さんの「背中を押してください」は、
 すでに見舞客が最初にお願いされる
 定番となっていましたが、

 今思うと、紋谷さんの肺は、
 すでにマッサージなどの刺激を与えないと

 呼吸運動ができなくなっていたのではないか
 と思います。


 朝、起き抜けの呼吸の苦しさを、
 紋谷さんはフェイスブックで何度も書いています。

 誕生日前後から、呼吸を確立するのに
 午前中一杯を要する日々が続いていました。

 そしてこの火曜日は、
 14時過ぎまでまともな会話ができない状態でした。

 紋谷さんは、

 「昨日、一昨日は、苦しくて死ぬかと思いました。
  でも今朝は、あまりの苦しさに、
  もう死にたいと思いました」

 と、あとでぽつりと言っていました。

 そんな状態の紋谷さんを、
 私と鈴木伸子は交替でマッサージし続けました。

 鈴木伸子がアロマオイルを持参していたので、
 背中だけでなく手や足まで、
 紋谷さんは全身から芳香を
 漂わせる病人となりました。

 体調が回復した紋谷さんは、
 鈴木伸子に向かって、
 普段めったに話をしない
 自身の大学時代の様子を語りました。

 「立教大学に落ちたことで、
  僕の人生は変わったんですよ。

  浪人して國學院へ入って、
  でもほとんどアルバイトに
  時間を使っていたなぁ。

  3年生の時に、ヤミ聴講生として早稲田へ行って、
 『この先生の授業を受けたい!』という
  心理学の教授に出会いましてね。
  
大学を卒業するのは親との約束だったので、
  
4年生の時には金と知恵を使って
 『いかに授業に出ずに単位を取るか』を実践し、
  
受験勉強に集中しましたよ」

 それから入学、退学、就職、退職、
 そしてリクルート入社…

 私も、まとめて聞くのは初めての、
 長いモノローグでした。


 夜には、
 「ドライカレーを作ろうと
  思っていなかったけれど、
  
結果的にできてしまったドライカレー」
  を作れ、と言われました。

 北海道から送られてきた
 ジャガイモもいっしょに炒めてほしい、
 とのことでしたが、
指定されたジャガイモの量が
 思いのほか多かったので別々に炒めたところ、

 「これは、私がお願いしたものとは、
  違いますよね」と言って、

  箸を付けませんでした。

 …ったく、このわがままオヤジめ。
 その代わり、付け合わせに作った
 サラダを珍しくバリバリと食べました。


 実は、数日前から紋谷さんは
 自力でトイレへ行くのが難しくなっていました。

 ベッドのすぐ横に置いた車いす、
 そこに乗り移ることですら大仕事で。


 だから、私たちがいる間に
 トイレに行っておきたい。

 何かあったら介助をしてもらいたい。

 「野菜を食べれば、お通じに
  いいんじゃないかと思って」と紋谷さん。


 …そんなに急に、効くはずもないのに。
 かつてはほとんど見せなかった、
 こんなお茶目な姿を、
 晩年の紋谷さんは
 よく披露するようになっていました。


 寂しがり屋で、怒りっぽくて、甘えん坊で。
 物心が付いた頃から徹底した
 “格好つけ屋”だった紋谷さんとしては、

 病気のために格好をつけ通せなくなったとき、
 多くの人に
 
 「お見舞いになんて来なくていい」
 と言い渡した。

 それもまた、彼なりの格好つけ
 だったのだと思います。

 
 結局、その夜は終電ギリギリまで
 紋谷家にいました。


 「篠塚さん、泊まっていってください」

 と、紋谷さんは何度も言いました。

 この時点で、彼は自分の体調に対して
 かなり大きな不安を感じていたのだと思います。



 【1219()
  紋谷さん入院す

 

 様子が気になった私は、
 朝の
10時に紋谷さんを訪ねました。
 彼の最後の5年間を
 いちばん近くで支えた
 恋人・長浜美和さんの出勤と入れ替わりで、

 私は紋谷さんに付き添いました。

 その日はたくさんの人が来ました。

 午前中には酸素吸入器のメンテナンス業者さん。
 続いてマッサージの先生。
 午後には紋谷さんお気に入りの看護師さん。

 しかし、紋谷さんは非常に苦しい様子で、

 「水を、ください」
 「背中を、お願いします」

 といった短い会話しかできない状態でした。


 ただ、看護師さんが来る前には
 歯を磨き、服を着替えました。

 こんなときでも紋谷税は紋谷税でした。

 夕方には家事をやってくれる
 ヘルパーさんが来ました。


 「紋谷さん、ヘルパーさんに
  やってもらうことはありますか?」

 とたずねると、
彼は苦しげに息をつきながら、

 「シュウマイと、春巻を、
  作ってもらってください」
  
と言いました。


 …こいつ、絶対に食べないよな。
 そう思いましたが、
 言い出したら聞かない男ですので、

 すぐにネットでレシピを調べて、
 私は材料を買いに走りました。


 ヘルパーさんに調理をお願いしている最中。
 紋谷さんが私を手招きします。
 「なんですか?」とそばに行くと、
 荒い息をつきながら、

 「春巻きの、具を炒める、
  ときには、片栗粉を、
  入れてください」。


 …最後の最後まで、食へのこだわりを
 貫き通す紋谷さんでありました。


 そして。

 「紋谷さん、できましたよ!」

 「私は、いりません。篠塚さん、食べてください」

 …やっぱりな。そうだと思ったよ。

 それでも紋谷さんは、
 人がモリモリと食べる様子を見ることで

 自分の食欲を満足させる
 ような面もありましたので、

 私は彼のそばで食べました。
 おいしかった。

 その日の紋谷さんは、
 それまでとは明らかに違っていました。

 夕方になっても、夜になっても
 呼吸を確保できません。

 「紋谷さん、これはそろそろ、病院じゃないかな」
 私は言いました。
 

 22日の土曜日には、
 静岡からお母さんと弟さんが来る。


 翌週の25日には、月例検査のために入院する。
 それまでは、なんとか自宅でがんばりたい。
 それが紋谷さんの決めたスケジュール。

 頑固な彼としては、よほどのことがなければ、
 それを変えたくない。


 「薬を、飲みますから。
  これが効くか、どうかで、
  判断、させてください」

 夜の8時頃、
 彼はそう言って“麻薬”を飲みました。


 私は背中をさすり続けます。

 「どうですか?」

 30分ほど経って、私は彼にたずねました。

 「9時まで、待って、ください」

 なぜ9時なのかな。
 その答えは、
9時になるとわかりました。
 美和さんが帰ってきたのです。

 美和さんに今日一日の様子を話し、

 「病院に入ったほうがいいと思う」と伝えます。


 彼女も同じ意見でした。

 「朝起きると、もしかしたら
  モンちゃんが死んでいるんじゃないかと思って、
  怖い。

  毎日どんどん悪くなっているし、
  私も篠塚さんもいないときに
  何かあったらと思うと…」


 それを聞いて、紋谷さんは言いました。

 「入りますか」
 

 訪問看護の医師に電話をし、
 往診の末、がんセンターへの入院が決定。

 自家用車での搬送は「危険だ」と
 医師に言われ、救急車で病院へ。


 この救急車内が、修羅場でした。

 救急車は「揺れる」とは聞いていたものの、
 これほどとは思いませんでした。

 揺れると、人はそれに耐えようとして
 体に力を入れます。

 その「耐える」という動作が、
 紋谷さんにはとんでもない運動なのです。

 だってその日は、
 コップを持って口に運ぶことすら大変でしたから。

 水を飲むために、
 一瞬呼吸を止める
 (私たちは、そんなことを意識しませんが)、

 それだけで「ハア、ハア」と
 軽い呼吸困難になっていましたから。


 揺れの中で、紋谷さんは呼吸ができず、
 パニックになります。


 「背中を! 背中を!」

 私と救命士は、揺れに耐えながら
 紋谷さんの背中をさすり続けました。


 20分ほどで病院に着き、
 病室に入ってからも、
 発作のような呼吸困難は続きました。


 夜勤の看護師さんや当直医があたふたと動き、
 痰を吸引し、

 「どうですか、楽になりましたか?」
 などとしきりに声をかけます。


 紋谷さんは、苦しい息で言いました。

 「すみません。放っておいて、ください」


 私も同意見でした。

 紋谷さんは、周囲でバタバタと
 動かれる状況を非常に嫌います。

 それ以上できる処置もないので、
 皆さんに退室いただき、
 私と美和さんが交替で背中をさすり続けました。


 11時半頃、紋谷さんは
 その日最も良好な状態になりました。

 息は荒いものの、
 長い会話もできるようになったのです。


 遅い時間でしたが、弟の稿さんに電話を入れ、

 「少し早く入院することになったけど、
  心配は要らない。
22日は、家でなく
  がんセンターに来てほしい」

 と直接伝えました。


 その後、

 「携帯を充電するのに電源が遠いから、
  明日は延長コードを持って来てほしい」

 とか

 「裸足で救急車に乗ってしまったので、
  つっかけを持って来てくれ」

 とか、


 ごくありふれた他愛ない会話をし、
 日付が変わったのを契機に、
 私と美和さんは病院を辞去いたしました。


 「じゃ紋谷さん、
  また明日の午後にでも来るから」

 と言い残して。



 【1220()
  逝去


 マッサージ続きで疲れたのと、
 入院させて少しほっとしたこともあって、
 その夜は少し多めに酒を飲み、
 翌日の目覚めが遅くなってしまいました。


 せっかちな紋谷さんのことだから、
 「延長コードが遅い!」とか怒ってるだろうな、
 なんて思いながら出かける支度をし、
 まさに出かけようとした
12時過ぎに、
 病院から電話が入りました。


 「紋谷さんの意識レベルが低下しており、
  危険な状態です」


 え? どういうこと?


 「あの、それはつまり、
  いわゆる危篤ということですか?
  亡くなりそうだ、と?」


 「お時間までは言えませんが、かなり危険かと…」

 聞きたいことはたくさんあったけど、
 とにかくすぐに病院へ向かいました。


 病院のある二俣川駅までは、
 私の家の最寄り駅から約
10分。

 落ち着け。タクシーよりも、
 絶対に電車が早い。落ち着け。


 あ、そうだ、メール。
 メールを送らなきゃ。


 …数ヶ月前、私は紋谷さんから
 ひとつの依頼をされていました。


 「篠塚さん、もし私が
  “いよいよ”というときになったら、

  この文面を、この10人にメールしてください。
  他には一切、知らせる必要はありません」

 ジリジリと電車を待ちながら、
 少し震える手で保存していた
 メッセージを呼び出し、送信。


 それは、こんな文面でした。


 ・・・・・・・・・・・・・・・・・
 もんや です

 

 このメールは 僕がいよいよとなった時に

 僕の死に目に会いに来てください

 というメールです


 今が朝なのか深夜なのか

 僕が一体 今どこにいるのか

 僕自身の意識があるのかないのかも

 まったくわかりません


 ただ 死ぬ間際に

 僕に多少なりとも余力があったなら

 最後に顔が見たいなぁ

 という方々に 勝手に送っています


 皆さんのアドレスと

 この文面はもう暫く前に

 篠塚さんに託していました


 恐らくかなりの確率で

 行けないってタイミングなのでしょうが

 たまたまってこともありましょう


 ちなみに 飲み会のお誘い連絡ではないので

 行けるも行けないも 返信は無用です


 いらしてくれるなら

 それまで頑張って生きてますので

 よろしくお願いします

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・

 二俣川駅からタクシーに飛び乗り、
 入院している
B3階へ駆け上がると、
 ナースセンターの看護師さんが
 「あちらです」と、
 昨晩とは違う部屋を指さします。


 病室へ入ると、
 若い看護師さんが私の顔を見て言いました。


 「ああ、篠塚さん。
  今、お亡くなりになりました」


 本能的に時計を見る。

 136分。

 紋谷さんの傍らに
 置かれていたカルテには、
 死亡時刻
132分と書かれていました。

 ごめん、紋谷さん。
 間に合わなかったよ。
 オレっていっつもこうなんだよなぁ。


 「お耳は最後まで生きているそうですから、
  ぜひ声をかけてあげてください」

 看護師さんはそう言うけど、
 今さらかける言葉なんかない。

 「紋谷さん…」

 それだけ口にして、
 紋谷さんの手を握りました。


 まだ温かくて。顔だって、
 いつも寝ているときと同じで。

 なんだか、いきなり「フッ」と
 息を吸って起き上がるような
 気がしてなりませんでした。


 そのうち、手が、
 どんどん冷たくなっていくのです。

 ああ、紋谷さんの魂が抜けて行く。


 後から聞いた話をまとめます。
 私たちが病院を出た後、
 夜中の
2時過ぎに、マッサージの先生が
 「なんとなく気になって」
 紋谷さんを訪ねたのだそうです。


 「苦しそうな状態で、
 『背中を押してください』と言うので、
 しばらくマッサージしていたんですよ。
 そのうち発作のような状態になって、
 『看護師を呼んでください』と言われて
 ナースセンターへ飛んでいき、
 あとは痰の吸引など処置が始まったので、
 私はそのまま帰りました」

 とマッサージ師さん。


 その後、かなり苦しい状態が続いたため、
 医師が「眠れるように」と薬を処方したそうです。


 「翌朝に回診した際には、
  呼びかけに反応していらっしゃったのですが」
 と担当医。


 その前後に、美和さんが
 出勤前に病室を訪れたそうです。


 「つっかけを届けて、
  眠っていたので
 『モンちゃん、行ってくるからね』
  と声をかけて出かけました」
 と美和さん。


 結局、紋谷さんは目覚めることなく、
 酸素不足に苦しめられることもなく、

 徐々に生体反応が下がり、
 文字通り「眠るように」亡くなったのでした。



 【その後】

 あのタイミングで入院させたのは、
 果たして正しかったのか。

 せめて救急車でなく、
 自家用車で静かに
 運んであげるべきではなかったか。


 夜中の薬の投与は、
 もう少し待ってもらうべきではなかったか。

 …多くの遺族が感じるであろう
 「悔い」を、私と美和さんは感じていました。


 末期がんで、2012年の初めには
 「あと
12ヵ月で普通の生活は難しくなる」
 という実質的な余命宣言を受け、
 日々衰えていく姿に身近に接し…

 もう充分に覚悟はできていたはずなのに、
 それでも最期は「突然」でした。


 けれど、複数の看護師さんから

 「紋谷さん、『最後はこの病院で死ぬよ』
  っておっしゃっていたんですよ」

 と聞かされ、

 主治医から
 「正直、2012年の正月には
  紋谷さんが緊急搬送されてくる
  と思っていました。
  この状態で、よくぞ頑張りました」


 と言われあのまま自宅にいても、
 遅かれ早かれ最後の発作はやってきたでしょう。

 おそらく、数日中に。

 そのとき、そばに誰かいるとは限らなかった。

 ギリギリまで自宅で過ごし、
 これしかないというタイミングで
 病院に運ばせ、
 最短時間を病院で過ごして、
 すっと去っていった。

 さすが紋谷さんだ。


 もっとも、本人は、
 もう少しだけ生きるつもりだった
 と思いますが。

 

 彼について語り始めると、
 際限がありません。

 おそらく多くの方も同じだろうと思います。

 本当は、こうして、
 さも自分だけが頑張って
 最期を看取ったように語るのは、

 とてもいやなのです。

 実に多くの方々が、
 それぞれの立場で紋谷さんに接し、
 支え、
独自の関係を築いていたことを、
 私は知っていますから。

 

 それでも、

 「看取り役」を任された者として、
 お伝えすべきだと思うことを
 書き連ねました。


 きっと

 「篠塚さん、話、長いよ!」

 と
紋谷さんは本気で怒っていると思いますが、

 紋谷さん、
 あんたがオレを選んだのだから、
 しかたないよ。


 

 さて。

 いずれ時期を見て、
 このブログも閉めさせていただくことになります。

 何らかの形でアーカイブ化したい
 と考えていますが、
 どうなりますか。

 いずれにしましても、
 長い間の応援、
 本当にありがとうございました。

 私が言うことでもないけれど、
 素直にお礼の言えない
 男に成り代わって、
 深く、深く、感謝いたします。

 
 篠塚義成

最後のお別れのご案内[紋谷のソコヂカラ]

投稿日時:2012/12/23(日) 00:22

本サイト MONYA-UNITED.orgを
楽しみにしていただいている方に
悲しくも残念なお知らせです。

FACEBOOKをご利用の皆さまは
ご承知の方も多いかと思いますが
12月20日(木)13:02 
紋谷さんが息を引き取られました。
51歳と10日という時間でした。

最新ブログが今年の5月にあがったきり
更新されておらず、このお知らせを初めて
お聞きになる方がいらっしゃったら、
大変申し訳ありません。

5月以降、これまで連絡が取れなかった
昔の友人・知人と再会できる機会が多い
FACEBOOKに移行して近況報告を続けておりました。

つきましては、下記のとおりお別れ会を催します。
短い時間ですが、ご都合のつく方はご参列くだされば
最後の挨拶、ご焼香ができますのでご参列ください。


【紋谷家での、最後のお別れのご案内】
※火葬場は入場不可です。

予想を超える多くの方々から「お別れ」の
ご要望をいただき、急遽
、紋谷家で
お別れの時間を設けることといたしました。


日時:12月24日(月・祝) 10:30~13:00
   ※13:00前後に斎場への搬送が行われます。
    ギリギリにおいでいただいた場合、
    お会いいただけないこともありますので
    ご注意ください。
場所:紋谷税自宅
   〒244−0812
   横浜市戸塚区柏尾町1411−134
   (JR戸塚駅よりタクシーで約10分、
    神奈中バス「舞岡」行きにて「西根」
    バス停下車、徒歩5分)

・手狭な個人宅ですので、紋谷さんにお会いいただき、
 ご焼香・ご記帳いただくだけとなります。
 充分なおもてなしができませんことをご了承ください。。
・住宅街で駐車場がございませんので、
 できるだけタクシー等をご利用くださいませ。

※戸塚斎場では、一般の方の参列はできません。
もしご友人等で「斎場へ行く」とおっしゃっている方をご存じでしたら、
「自宅での別れの集いになった」とお伝えください。

本サイトの運営に関しましては、今後改めて
ご報告させていただきます。
よろしくお願いいたします。


群馬県月夜野町 奈女沢温泉 “釈迦の霊泉”[紋谷のソコヂカラ]

投稿日時:2012/05/21(月) 22:19

ここにきて体調が 
著しく思わしくない…


こういう形容はおかしい(笑)

…笑ってる場合ではないと 
心の声が言っている感じだ。


いろいろあるが 
一番は 咳が止まらない。 


朝から晩まで 晩から朝まで 
のべつまくなし 咳き込んでいる。

咳がこれほど体力を使うとは思わなかった 
汗だくになりながら咳をしている感じだ。


肺がんの最期はきつい 
とは聞いていましたが 
気管支を癌が侵食するということ 
つまり呼吸がしずらい
苦しさということ


肺がんでもない僕が 
そういう方向に向かうのは 
不条理ではないか!  と 
怒りを覚えるくらいに咳がしんどい。


また秋田に籠ることも考えましたが 
とり急ぎ こちらもカルチャーショックを受けて 
体調に変化もあった群馬の
釈迦の霊泉
に来週の土日の
2泊で行ってこようと思う。




前回は入院前の2月に小林氏の計らい
(治療前にもんやにラジウム吸わせて
   浴びさせて少しでもよくしよう企画)

で訪れた。

25℃ラジウム石膏泉
(ph9.4・ゲルマニウム含有) 

とにかく飲みなさい! 
の温泉なのです。


群馬県上毛高原駅から 
迎えの車で18分 

2月の月夜野はまだ雪が深い 
車で数分走り山道に分け入って行く。


途中 仏舎利が!! 
仏神道教会とある 

これも関連施設か 
細い山道には大きな看板があり 
「癌が治る!!」と
思い切り謳っているいる。


怪しい あまりにも怪しい 

著しくとてつもなく あやしい 

…形容はおかしいが  
たとえてみると

「山奥の新興宗教の施設に連れて行かれる」 

(行ったことはないが) 

そういう感じだ。


ほどなく着いた宿は 
どうみても もと校舎か
合宿所の体であります。


100人は座れるパイプ椅子の食堂を抜け 
宿泊の棟に…部屋は 
…??4畳半?に炬燵 

これでふたり布団敷けるのか
…という部屋。


トイレ 風呂? 
もちろん共同です。


食堂のテーブルで目を引くのは 
ここの水を飲んで病気が治ったという 
お手紙 FAXの数々 
その量のすさまじいこと…


似たような紹介はもちろん違う宿で
みたことがあるが 
ここはそのどことも違う 

その量のすさまじさと
なんというか「情念」を感じる。


癌に始まり糖尿病、脳内出血、
肝炎からボケ、ハゲまで。

パーキンソン病や
クローン病なんてのもある。


しかも効き方が凄い。
癌で医者からあと3日の命と宣告され、

慌てて釈迦の霊泉に来て
2日目には回復、

数カ月後には癌が消えた!

早速 飲んでみる 

玉川のお湯などに比べると 
その飲みやすいこと
普通に美味しい水だ。


…30分ほどして 
お腹がぐるぐると回りだす。


風呂場は なんかの実験場 
いやこれはやっぱり合宿所の風呂 
という感じだ 

お湯の成分が熱で盛り上がる感じで
5分入るとしんどい。


飲んでも 入っても 
…効くなあ~というのが 
2月に訪れた感想。


なにより小林氏の計らいがなければ 
絶対に知らなかった宿です。 

秋田の玉川温泉には
観光目的のお客も来るだろうが 
ここにはそういう

“物見遊山”は皆無だろう。 

怪しさも極まれりな宿…すがる宿

 … 僕はといえば


「癌は治さなくてもいいから
 とにかく この咳を止めてくれ!!!」


ということで 今週末行ってきます

※玉川温泉のレポートも 
「今度 乳がんの母を連れてゆきます」とか
「末期間癌でやる気のなかったおじさんに紹介したら
   …
行ってみたいとなった」とか
僕の情報が少しは役に立ったようなので。


ただ携帯の電波が届かないので 
リアルタイムなレポートはできません。



◆◆◆

「スミス都へ行く」

アメリカ人が選ぶアメリカ人が好きな映画… 

「市民ケーン」
僕の記憶の限りでは
もう30年くらいこの映画が第1位


以下、「カサブランカ」「ゴッドファーザー」
アラビアのロレンス」…などが続くが 

いかにもアメリカ ということにあると

「素晴らしき哉、人生!」「アラバマ物語」
などがその代表格となる  

そして僕の趣味を加味すると

フランクキャプラなら… 
ジェームススチュアートなら…  



「スミス都に行く」を推します。


愚直で真面目で清廉な青年が 
都(都とはワシントンのこと)に出て 
政界に担ぎ出され 翻弄され 
そして闘う その姿を描く。


難しいストーリィではありません 
ラブストーリィでもあります。


映画が人を育てると言う意味で 
若いうちに観ておきたい作品 
というか大人は観ておかないといけない

…そういう作品です。


こういう映画を2時間観て 
そうして この映画について語りながら 
お酒を飲むと 

「ああ 美味しいなあ~」と
思えますから
お試しください。

FBよありがとう でも、いいね!は大嫌い。という話し[紋谷のソコヂカラ]

投稿日時:2012/04/17(火) 00:36

フェイスブックで発信ばかりしていたら
「ブログあげられてないので心配です…」
とのメールを何通かいただいてしまった。


どうもすいません。

病院にPC持ち込んでというのも憚られ 
…というか安き? …易き? 
…に流されておりました。


それでも、僕の原点はここにありで、
FBに長話はやはり
どうもそぐわないので 
ちゃんと落ち着いて書ける
時は
やはりブログなんだと思います。


だからFBと併用となりますが
また間隔はあくとは思いますが
続けたいと思っています。


それにFBの世界は 
「前向きで 平和で 美しい」ので 
事実は別にして 
本音がなかなか発信しづらい。


もちろん利用してみてよかったなあ 
ヤッパリFBはすごいね♪ 
ということも多いのですが


反面 …うざいなあ へんだなあ 
も同じように多い。


今年に入って 僕は 

 いいね! 

を一度も押していない。


その理由は いいね!と思わないわけではなく 
いいね! ってなにが? 

と言われて思うからで 

たとえば


少し寝坊してリビングに降りると 
テーブルにカレーが


「かあちゃん!! 朝からカレーかよ?」
…と思わず口に出た


「カレーでなにが悪い!」と母さん

「昨日の残りじゃん!手抜きかよ」

「2日目のカレーが
 いちばんうまいのじゃ!」
と切り返された


そういう問題かよ…と思ったが 
まあ 嫌いじゃないので 
口の中に放り込み


「行ってきま~す」

学校までは路線バス 
なんとか間に合う

混んでいる車内 … 

同じクラスのSも乗っていた


「うっす!! …?
 んっ? おめえ カレー臭くね?」


「そうか?」

「朝からカレーかよ?
 おまえん家へんじゃね?
 昨日の残りかよ」


「カレーでなにが悪い!
 お前は知らないな
 二日目のカレーが
 一番うまいんじゃ!」


と言ってやったら
ふーんンそういうものか…
と納得している


ふーう 
あぶないあぶない 
こういうところで負けると 
いじめられっこになっちまうんだ!


カレー万歳!! だ


…とまあ こういうコメントを
発信したとして 
ここに 

「いいね!」 

とくると 
…さて果たしてなにが

「いいね!」なのか?


①    朝からカレーってところが いいね!

②    その母さんの切り返しが いいね!

③    S君へ切り返し
  まんま母さんなところが
  息子らしくて いいね!


④    カレーからいじめられない術を学ぶ
  そのあたりの大人びているところが
  いいね!



なのか ? 

いったいそのいいね! は

①~④のどこに いいね!なのか? 

もしくはほかのなにかに いいね! なのか?


ただ…いいね! 

じゃぜんぜんわからない。


だから僕は いいね! と思ったら 
どこがいいね!なのか 
コメントをするべきだと
思うのであります。


おそらく近い将来 
国語の読解力のテストに


「以下の文章に いいね! が押されました
 いったい どこが いいね!なのでしょう
 簡潔に述べよ」


みたいな問題がでるかもしれませんね。 


ああ意味がない。


あと いいね!って 
なんか上から目線なのと 
無責任ぽいから 
嫌いなのです。


とまあ こんなことを言うと

そんなに大げさなことではなく 
ちょっといいねだから いいね! 
くらいの時もあるじゃん 
と友人に言われたが、


そんなものは ないと僕は思う。



だから これからも 僕は

 いいね! 

は絶対に押さない


知らない人ですが 
母親が亡くなり 
その母への思いを 
コメントされていた方がいた


それに対して 彼と彼の母親を知る方々から 
お悔やみや励ましのメッセージが
多く寄せられていたが


いいね! がいくつか
カウントされていた … 

単純に非常識な人間は大嫌いだ。


NASDAQに上場する際に 
既存の広告モデルからの
なにがしかの脱却を


ザッカーさん発表するかどうかは知らないが

 いいね! のままでは

通用しないぞ これからは 
と大きな声で言っておこう 
オッホン!!




FBのおかげで 
うれしいことが またあった。


以前にも 書きましたが
僕がFBを始めた目的の一つは 
ある時代に一緒に居た人たちとの 
つながりを復活させること


それは30年前の 
渋谷のアルバイト時代に 
お世話になった方々のこと。


そのちの何人かには 
なん年に1度くらいの割合で 
お会いすることができるのですが 
大勢で集まるとなると 
それはもうみなさん
バラバラで
定期的に会う習慣がないことも併せると 
なかなか揃うこともない。


FBでコミュニティーを作れば 
そこで近況の報告からはじめて 
つながりが復活するのでは
と思い描いたのです。


なぜにそれほど
たかがバイト時代の話しではない? 
と思われるでしょうが 

僕にとって その4年間は
ほんとうに成長させてもらった。


格好ばかり気にして 
形は整えても中味がスカスカな自分 
中学から高校までの自分は 
そういうヤツでした。


本や雑誌やTVや映画の中から 
自分の在り方みたいなところを 
早々と決めていて 

…別に他人と交わることもなく 
わが道をゆく


でも、中味はからっぽ 
形ばかり取り繕っているから 
なにかあると対処できない 
身についていないこと
ばかりの情けない子供でした。


その器だけがある自分の 
中味をどんどん埋めてもらったのです 
その4年間に 
先輩達から。


この話しは以前もしたので 
詳しくはしませんが


東京暮らし 
人を育てると言うこと 
働くと言うこと 
目上の人へのマナー 
お酒を飲むと言うこと 
呑み屋さんでの立ち居振る舞い


洋服を選ぶということ 
女性と付き合うと言うこと 
よい音楽とは 

…などなど


後にも先にも 
自分を解放できる先輩達は 
彼らしかいません。



しかし この先輩達 
FBのなんたるかも知らない方々が多く 
まったくこちらにエントリーがありません。


半年間で4人
(しかもうち2人はそもそも
 しょっちゅう会っている関係) 
しか増えません(笑) 

こりゃダメだと諦めていた頃


FBを通じて ライターのSさんと 
もともとの友人のNさんが 
知り合いになる過程で 
わがやに先輩達を集めて 
もんやへのインタビューもらいましょう


…という流れになり 
また新しく入ってきた 
後輩の一人が動いてくれて 
声をかけ わが家で 
PATIOの面々が
揃うことになったのです。


実際に どなたが来られるのかは 
知らないまま 当日(昨日)を迎えました。


そして、会いたい人全員…
とはいかないまでも
全員となると30人は越える) 

とても会いたい面々が
横浜の我が家までわざわざ来てくれました。


なかには この日のためだけに 
高知から来てくれた後輩  
同じく山梨から出て来てくれた先輩  

なかには 会社をつぶし 
債権者(役所)から

逃げている最中のヤツ 

なども交えて 14名のみなさん 

ほんとうにお久しぶりの時間でした。



だいたい なんで集まるか? 
もんやが大変らしい? 

なにしに行くのか? 
お見舞いか? お別れ会か? 
壮行会か? 同窓会か?


なんだ なんだかわからんが 
まあ よくわからんが…
と来てくれるわけで 



(自分がその立場なら
 どんな顔して行くのか わからないですもんね)


それでもはじめはぎこちないのですが 
瞬く間に30年前に戻り 
お馬鹿な話で大笑いとなるのです。


ほんとうに 久しぶりに
大笑いしました。




変わっていないなあ ~ 
ということなのですが  

そうではなく この時間は
あの時代に戻れるということなのでしょう。


30年もたてば それはそれ 
いろいろ変わるわけで 

でも おのおのに絶対的に意味のある
時間であれば 面子が揃えば 
その時代の自分に戻れる
ということなので
しょう。

学生時代の同窓 会社での同期や同僚 
そういう繋がりに恵まれている人は 
FBを通じて 
どんどん再会の場面を作りましょう。


ほんとうに会おうと
しなければ会えないですから。 
人って…



いいね! などと言っているだけでは 
意味はないです FBに。

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