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紋谷のソコヂカラ
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旅になにを求めるのか[紋谷のソコヂカラ]
投稿日時:2010/02/19(Fri) 18:41
今までいろいろなところに旅をして、
振り返ると、1度で十分と思う場所もあれば、
もう一度来たいなあ…と思える場所もありました。
中には、住みたいなあ…とまで
惚れ込んでしまう場所もある。
ただ、まだまだ行きたい場所、行けてない場所は、
数多く残っていて、人生、限られているし、
旅ばかりしているわけにもゆかないことも考え合わせると、
“初めての場所”にチャレンジしたい思いが、
一番強いのが本音のところです。
ちなみに、海外で恋焦がれている場所は、ギアナ高地。
べネゼエラの首都、カラカスから飛行機を2度乗り継ぎ、
カナイマへ、そこからボートと徒歩で4時間、
さらにジャングルに分け入り1時間…
その先にある「世界一高い滝-エンジェル・フォール」。
現地の部族の言葉、ぺモン語で「アウヤン・テプイ」
(悪魔の山)と名付けられた霊峰から、
この滝は流れ落ちていて、植物さえ生えていない
赤黒い岩肌の頂上から降り注ぐ…
その高さ2000メートル。
水源は、山頂に降った雨で、落差がありすぎて、
落下途中で水が拡散して滝つぼがない…と、
こんな滝にぜひとも出会いたいと思っている。
ちなみに僕は、いわゆる世界遺産的なものに
あまり興味がない。
旅の途中に、寄ることはあっても
「そこを目指しての旅」というわけではなかった。
世界規模で残すべき “遺産(この意味が今ひとつ分からないのだが)”
と認定されているということはすごいことだとは思うのですが、
そんなことより、インドの汚い木賃宿で、
街の雑踏の中に身を置き、そこに暮らす人々を日がな眺めていたり、
ガイドブックに載っていない、フランスの田舎町を自転車で
ふらふらしたりしている方が、性に合っていた。
特に「ボーダーな場所」に強く惹かれていて、国境の町、
異文化が混じり合うなんとも言えない空気の感じが大好物でした。
島国に生まれたせいもあるのかもしれません。
振り返れば、日本(笑)…なんだ、まだまだ知らないではないか。
いつ叶うのかもわからない、でっかい滝への旅は、
ひとまず目標に置き、その前に、身近な日本を少し探訪してみよう。
最近、そんな思いが強くなってきていました。
日本で未だ行ったことがなく、惹かれている場所と言えば、
島根、鳥取の山陰エリア、和歌山と三重、
そして青森と鹿児島であります。
はじめのふたつは、いわゆる大動脈から外れていることもあり、
なかなか訪れる機会がなく、本州の最両端エリアもさずがに
行こうと思う計画を立てないといけない場所。
海外ならばボーダー好き、島国日本では
替って「端っこ」「隅っこ」が好きということみたいです。
そういえば昔から飲み会の席も隅が好き…性格なのでしょう(笑)
そんな折に、仕事で関西に行くことになった。
日程は僕任せということもあり、こういうチャンスは逃す手はない…
同行するライターの両名に話を持ちかけ、
山陰エリアへ足を延ばすことにした。
おっさん3人旅。
ひとりは、以前も紹介した
「旅のおもしろコラムニストの宮田氏」
もうひとりは
「うちにお掃除に来ていただいていることで有名?な篠塚氏」
ちなみに篠塚氏は、情報誌の取材などで日本全国を旅しているうえに、
軽い“鉄”でもあります。
日程と宿の手配は彼任せ。
宮田氏は、仕事で四国お遍路の取材を終えたばかり、
篠塚氏は確定申告と引っ越しに忙殺されている最中、
忙しい合間を縫っての旅、
それでもせっかくの旅ですから
なにかおもしろい仕掛けを…となり、意気投合。
宮田氏から
「次は、“迷路な温泉”のコラムを書くつもりなので、
旅館はそういう場所を」との提案があり、
鳥取、島根の宿を選定。
僕からは、まず姫路城の下で集合しましょう。
そこで別れて、お互い好きなところを巡り、
翌日、鳥取の温泉で集合、
翌朝また別れ、お互い別々に…で、
夜にまた島根の宿で集合…と提案。
旅慣れた上に、わがままなおっさん連中、
「よかろう」となり、そんな珍妙さが持ち味の企画。
…ついでに変わった石を拾って見せ合う…
なんてことも追加される始末に…
ヘンでしょう(笑)
こういうことを楽しめる面子と旅行できるなんてことは、
なかなかありません。
この旅の模様は、後日、宮田氏で紹介されることでしょうから、
詳細は…そちらをぜひご覧ください。
“僕の”旅だけに限れば、かなり充実した旅となりました。
まずは、初の姫路城、世界遺産に興味は…と言いましたが、
いやあ、よい城でござった。
スケールもさることながら、デザインがモダンなのです。
旅の途中、松江城にも訪れたのですが、
比較すると申し訳ないくらい…
よきかな よきかな 白鷺の城。

今年、天守閣の改修工事に入るらしく、
その前に観ることができたのは誠にラッキーと思える城でした。
姫路から山陰へのルートはさまざまあり、迷いました。
実は、山陰に行きたいと思っていた理由のひとつは
「餘部の鉄橋」これが観たかった。
…その意味では、兵庫県を北上し、城崎温泉を経て、
山陰本線を西に…
というルートなのですが、なにぶん遠い。
せっかくの姫路でしたので、
少し、西にある「竜野」にも寄りたく…
迷った末(餘部鉄橋は今年、秋までは観られるという情報もあり)、
北上ルートは断念して、
倉吉まで一挙に行ってしまおうと決めました。
このあたりは、3人それぞれ、
自分が好きに出来るというところがよいのです。
竜野は、寅さんのロケ地ということで知っていましたが、
祭りの武者行列、童謡「赤とんぼ」、
宮本武蔵の修行の地…とかいろいろ有名で、
ほっこりとした風情と歴史を感じる町、
カメラ片手にひとり散策にはもってこいでした。

その意味では、翌日の倉吉は、
それ以上だったかもしれません。
姫路から2時間で行けてしまうので、
早めに出かけて、第一集合場所「三朝温泉」に入るまで、
ずーっとぶらぶらしていました。
観光地化という意味では、竜野の素朴さはないものの、
それでも、町を隅々まで歩くと、そこかしこに
懐かしい景色が散らばっていて、
文字通り、時間の経つのを忘れてしまい、
ついでに足の痛みも忘れて…なんと4時間
もぶらぶら。
天女の壁画を中心に広がるこの町、
お醤油蔵の赤レンガや江戸風情の白い土塀…
東西に流れる堀川脇には、突然 バテレン調のお寺…。
背後の山の中にある長谷寺に思わず登ってしまって、
途中の長い石段で後悔…
それでも山深い中に響くお経には痺れました。
翌朝、三朝温泉から松江に、
宍道湖を回る「一畑電車」で出雲~出雲大社へ
スピリチュアルスポットとしても有名な出雲大社でしたが、
やはりこういう威容は、僕には興味がないと改めて感じ、
それでも一面の霧の風景の宍道湖を眺めながらの、
在来電車の乗り継ぎはなかなかに愉快でした。
途中、地元のおばちゃんや高校生が、乗ったり降りたり…
そういう日常の風景が楽しい。

世界の遺産「石見銀山」には興味がなかったのですが、
泊った温泉地「湯の津」にある2件の公衆浴場は、
最高でした。
こちらを世界遺産に…僕なら認定します。
「元湯」は朝の5時からやっていて、地元の人の交流場所。
鉄分が強く、湯船の脇は茶色のグラデーション…、
溶岩が溶けだしたような感じに…
天井は高く、木枠で囲まれた湯殿は狭く、
中には地元のおっさんが5,6人…
ゆっくりくつろぐ感じではなかったし、
写真もはばかられましたが、
それでも「ああ~いい湯」とおもわずポロリ口に出る。
朝は濁っているお湯が、閉める頃には人が入る空気のせいで、
透明になるそうです。
着いた夜に入ったのですが、番台から
「朝もう一度おいで、このお湯は朝がいいのよ」と声をかけられ
翌朝、もういちど入る…
違いはわからなかったのですが、
毎日来るという近所のおじさんの話では、
この風呂は朝がいいんだよ…
と同じようなことを言っていました。

土が良いらしく、山の隙間にあるこの温泉町を少し登ると、
陶芸の里(窯元は3つ)があって、
10段15段と日本でも有数の大きさの登り窯も見られます。
寒くなり、あられ混じりの雨の中、
この陶芸の里に顔を出し、出雲に戻り空路大阪へ、
山陰があまりに楽しく、お湯に当てられ…
翌日からの仕事は上の空でした。
たかだか1回では語りつくせぬ深さを感じた山陰。
次は兵庫北上ルートか
広島から上がろうか…
またぜひ来たいと…
そういう旅の紹介にありがちな終わり方でございます。
祭りのあと[紋谷のソコヂカラ]
投稿日時:2009/11/11(Wed) 09:51
祭り最終日の夜の舞児還しの舞台は、三島神社。
境内から 各々の町の舞児を担いだ男衆が
人波を、かき分けかき分け 屋台へと運ぶ。
氏子の屋台がすべて集合して、今や遅しと、
わが町の舞児を待つ。
去年は改築中であった境内へと続く石段が
今年は完成して、舞児還しに併せての杮落としたようだ。
ボクはいつも、この石段の脇の木立の中に入り込み、
この行事を上から観ることにしている。
上から見ると 舞児が屋台に引き上げられ、
練りながら引き回すさまがよく見える。
下からの熱気が伝わってきて…元気をいただく。
会社を辞めようと決意した10年前を思い出した。
あの時は、ほんとうに思いついて、新幹線に飛び乗ったなあ…
今年は 違う気分で観ているが…もらう元気は変らない。
秋晴れが続き よい帰省でした。
来年も必ず観ようと思っています。
自宅に戻ると 後輩から電話が来た。
「お食い初め」に来てくれないかというお誘いであります。
お食い初め…知識としては知っている
生まれてちょうど100日目
子供にご飯を食べさせる真似をさせ、
一生、食うにこまりませんように…と
祈願する願いの儀式。
しかし、やったこともなければ、
見たこともテレビであるかないか…
そもそもごく身内で行うものと理解していたが、
まさかその席に呼ばれるとは…
みなさんはありますか お食い初め…
しかし世知辛いとはいえ、この飽食の時代に…
こういう慣わしをやろうという
その気持ちに…喜んで参加させていただくことにする。
人生、何事も経験であります。
そうこうしているうちに、
鳥取の女は見境のない事件を起こしている。
ボクは、鳥取 島根をいつか旅してみたいと思っているので
こういう事件は迷惑だ。
以前知りあった 女性は
「出身が 鳥取の人間に知り合う確率は
全都道府県の中で一番低いんですよ」
と言っていた。
ご本人は、それだけ希少価値…といいたかったらしい、
これは、人口が一番少ないという
単純な理由なのですが…なるほどです。
そういえば 回りに鳥取出身者はいない。
皆さんのまわりには…いかがですか?
微妙な整形を繰り返した若者もついにお縄になり、
酒井さんは、勉強を始めるらしい。
予算委員会の国会質疑は面白い。
特にラジオで聴くのがボクのお気に入り。
長妻対升添は、なぜか緊張して聞き入ってしまった。
やはり論客同士は盛り上がる。
普天間基地問題の最中に、また米軍がしでかした。
海の上ではもと同じ民族が、銃撃戦…。
祭りが終わっても なにかと騒がしい…
こういう熱気はけっこうだ。
もう少し静かにならないかと思う。
森繁さんが亡くなった…
屋根の上のヴァイオリン弾き…
96歳…静かな往生であります。
秋祭り[紋谷のソコヂカラ]
投稿日時:2009/10/13(Tue) 09:33
生まれも育ちも「世田谷区奥沢で…」という友人などと、
プライベートや仕事で いっしょに地方に行くと目を輝かせる。
僕にとっては当たり前に親しんだ、森や林や川や田んぼにであります。
出身が地方でも比較的市街地に生まれて、東京に出てきたという方などは、
逆にそういう感覚はないようで、
俗に言う「田舎は苦手」という方が比較的多い気がする。
両親が居て、代々の墓がある場所だから
帰省はするものの森は森でしかなくて
川は川でしかない…なにか?
という具合だ。
「旦那が九州で 私が秋田でしょ…
大変なのよね…子供も居るし」
いくら帰省したくても簡単ではないことも多い。
一説には 同じ都市圏に住んでいても居を構えるとなると、
無意識に「自分の田舎に近い場所を選ぶ」のだそうだ。
西の出身者は神奈川県に…
東京在住なら 世田谷 目黒 大田区 …などなど
逆に東の出身者は新宿に近かったり
池袋だったりというように…
僕の場合はそういわれるとそうだなあ…と気がつく。
最初が高田馬場 これは学校の関係…
つぎに 祐天寺 学芸大学 自由が丘
と風呂なしアパートを 転々として
埼玉に勤務してから 大山 石神井公園
…などなどでありましたが
またすぐ西に越して以来
20年近く神奈川県に住んでいる。
おかげで…と言うのも可笑しいが、
帰省には車でも電車でも、2時間半で済む。
地方の公共事業問題が、またまた“かまびすしい”
わが静岡の例でいえば 「第二東名」と「静岡空港」
この2大事業であります。
「静岡空港」に関しては、そもそも論から、
建設工事の不手際 など“ミソ”は漬け放題ですが、
メディアが取り上げた話をなぞるのも無駄ですから
私見を詳しく言いませんが…
正直…「建設する意味がわからない派」でした。
ところが 先日 長崎出身のある女性からこう言われた
「静岡空港行きたいわあ…だって富士山見たいもの…」と言われた
北海道の出身の友人も
「 母ちゃんがさあ 富士山見たいっていうからさあ
…空港出来たでしょ…招待しようかと思うんだよね」という。
ついでに言うと 韓国人の知り合いも
「こんど静岡に富士山見にハムニダ(謝)」とメールが来た。
…なるほど 他県の人はそう感じているのか。
富士山ばっかだなあ…と苦笑しつつも、
地元は「行くニーズ」だけを必要論の判断の基準にしてしまうが、
「来てくれる」ということは実は盲点か。
もちろん、試算のシュミレーションでは観光収入も織り込み
ロジステックスに纏わる経済効果も見込まれているのでしょうが、
地域感情としてはやはり「オラはのらねえだら~」から発意してしまう。
それでも運行開始から半年くらい経ちましたか…
沖縄や北海道路線くらいが採算ベースで後は下回っているらしい。
JALに足りない分を2億ばかり払わなければとなっていて、
またまた“かまびすしい”。
今のJALには 焼け石に水にも足りない誤差なのでしょうが。
「第二東名」はどうなるのだろう。
まあ中止と言うことはないのだろうが
…もし凍結とかなる可能性が今後増すのであれば非常ににみっともない。
うちの近所を通過する(正確には実家の2Kmほど裏)ために、
森は切り開かれ 造成工事の最中であります。
また、目の前の田んぼには 巨大なコンクリートの柱がバンバン…バン!
(まさにこういう感じ)で立ち並んでいて、
頭に乗っかる道路の完成を待っている。
ここで止められたらたまらない。
積年の思いが凝縮された、某ダム問題とは比べるのも申し訳ないが、
気持ちの根幹は同じように思う。
もし、この異形の柱が…このまま放置されることになるようなら…
ボクは落書きしてやる! 絶対に!
◆◆ お誘い ◆◆
11月6日~8日 わが故郷 森町ではお祭りがあります。
少しご紹介します…
静岡県西部地区最大のお祭りといえば、浜松の祭りが有名です。
これは 城下町浜松のお殿様が第一子誕生の祝いと始めたのが
そもそもの起こりで、今も「我が家の初子を町内で祝う」というもの。
市内170の町内で 巨大な凧揚げ合戦をしたり、
御殿屋台を引き回したりと…
なかなかに盛況な夏のイベントであります。
地元、森町を出て、浜松市内に居を構えている親戚は、
「ボクはここのお祭りの意味がわからないただ騒ぐだけで
…だからなんなんだと感じる」
と言うが、浜松出身者に言わせると
「このお祭りは地元のわれわれだけのためにある。
子供が産まれたことを内輪で祝う
だから身内同士…そういうもの」
…らしい。
実は、ボクはこの歳まで浜松祭りを見たことがなかった。
去年、今年とはじめて体感した。
結論を言えば、その親戚の意見に同感であります。
これは同じ静岡西地区のものが近いが故に
より感じる独特の感情かもしれません。
あの…ただ騒ぐだけ…な感じに共感できない
…のでしたが、
「身内のお祭り」といえばそうなのでしょう、
そもそもお祭りとはそういうものなのでしょう。
…それにしても感じる違和感は…
規模のでかさかもしれない。
どうにも 何を観てよいのか…わからない
あと、初子のお祝いがベースにあるとはいえ、
祭りのコンセプト…
うーん 一本筋が通っていない感じが
どうも乗れないのであります。
このあたりは好き嫌いの範疇ですから仕方ないのですが…
それにしても、身内の大騒ぎ…というわりには
観光客に向けてのパフォーマンスは大掛かりでありました。
森のお祭りはこれに比べては規模も小さい大凧も上がらない…
それでも ボクは大好きなのです。

そもそもは2つの神社の氏子町だけの祭礼だったらしいのですが
大正までの村の細分化や融合を経て、
14の町内が参加する現在の形になったお祭りです。
そもそもは今年の豊年への御礼と来年の五穀豊穣祈願…
いわゆる秋祭りです。
お祭りの開催中は、町内にはそれぞれ2輪屋台を引き回します。
この屋台がなかなか美しく
屋上の浜床には歌舞伎などを模した三車人形がライトアップされ、
車体は総漆塗り。中には 大太鼓 小太鼓が乗り込み、
笛を鳴らす手木には 肉襦袢姿の若い衆が入り
「おっそら」の掛け声も勇ましく 練る。

屋台の前方の長い綱は 町内の子供たちの担当…
おそろいの法被姿で、屋台と一緒に町内を巡るのであります。
森の町内は道が狭く、入り組んでいて
家々の軒をかすりながら右に左に…練るさまは
見ているだけで心が沸き立ちます。
違う町内の屋台がその狭い道で鉢合わせるようなら
喧嘩がはじまります。
どちらも譲らないつばぜり合い…
それが故で遠州の喧嘩祭りとも言われてきました。
ただ、昔、この喧嘩が行き過ぎて…死人がでたこともあり、
現在では自粛…まあ睨み合い…という感じに落ち着いています。
祭りの見どころは2つの神社前に全部の屋台が並ぶ
「お渡り」と最終日の「舞児還し」
「舞児還し」は、
毎年各町内から選び出された子供が舞楽を奉納し、
最終日にはこの舞児を各々の家に送り返すという行事のことで、
舞楽を終えた舞児を 町内の男集が担ぎ、
社から地面につけることなく屋台の前面に納め帰ってゆくという
慣わしなのです。

ボクは 特にこの舞児返しが 大好きで…
実は サラリーマンの時代にひとり新幹線に飛び乗り
この舞児返しだけ観て帰る…なんてことをしていました。
奉納される神社の社へと続く石段の脇の木立から下を見下ろすと
狭い道に町内の屋台が舞児の帰りを待ちながら、ひしめき合っています。
「おそらおっそら!」と掛け合い、大太鼓小太鼓と笛が醸す
独特の調子が響き渡ります。
日が落ちて行く中に 数百の提灯が乱れ
見物客の熱気も重なり、それは活気がある眺めです。
これを観ていると 元気が出てくるのです。
ということで、今年は帰省してじっくり堪能することに決めています。
森の町に住む従兄弟のひとりは、英悟が堪能で
海外の友人をこのお祭りによく誘っていました。
「小さい町の小さいお祭り
…でもそこが 他にはない独特の日本の伝統を感じる。
そのなんというか凝縮された熱が好き」
という感想を 言ってくれるそうです。

小さいが故に 参加している感じを楽しめるのかもしれません。
東京から新幹線で2時間半…
掛川駅から 天竜浜名湖線という在来線で30分
…そこが森町です。
元気のあるなしに関わらず
秋深い田舎のお祭りの気分を味わいたい方は
ふらっと…寄ってください。
知らない町のお祭り というのもよいものです。
プライベートや仕事で いっしょに地方に行くと目を輝かせる。
僕にとっては当たり前に親しんだ、森や林や川や田んぼにであります。
出身が地方でも比較的市街地に生まれて、東京に出てきたという方などは、
逆にそういう感覚はないようで、
俗に言う「田舎は苦手」という方が比較的多い気がする。
両親が居て、代々の墓がある場所だから
帰省はするものの森は森でしかなくて
川は川でしかない…なにか?
という具合だ。
「旦那が九州で 私が秋田でしょ…
大変なのよね…子供も居るし」
いくら帰省したくても簡単ではないことも多い。
一説には 同じ都市圏に住んでいても居を構えるとなると、
無意識に「自分の田舎に近い場所を選ぶ」のだそうだ。
西の出身者は神奈川県に…
東京在住なら 世田谷 目黒 大田区 …などなど
逆に東の出身者は新宿に近かったり
池袋だったりというように…
僕の場合はそういわれるとそうだなあ…と気がつく。
最初が高田馬場 これは学校の関係…
つぎに 祐天寺 学芸大学 自由が丘
と風呂なしアパートを 転々として
埼玉に勤務してから 大山 石神井公園
…などなどでありましたが
またすぐ西に越して以来
20年近く神奈川県に住んでいる。
おかげで…と言うのも可笑しいが、
帰省には車でも電車でも、2時間半で済む。
地方の公共事業問題が、またまた“かまびすしい”
わが静岡の例でいえば 「第二東名」と「静岡空港」
この2大事業であります。
「静岡空港」に関しては、そもそも論から、
建設工事の不手際 など“ミソ”は漬け放題ですが、
メディアが取り上げた話をなぞるのも無駄ですから
私見を詳しく言いませんが…
正直…「建設する意味がわからない派」でした。
ところが 先日 長崎出身のある女性からこう言われた
「静岡空港行きたいわあ…だって富士山見たいもの…」と言われた
北海道の出身の友人も
「 母ちゃんがさあ 富士山見たいっていうからさあ
…空港出来たでしょ…招待しようかと思うんだよね」という。
ついでに言うと 韓国人の知り合いも
「こんど静岡に富士山見にハムニダ(謝)」とメールが来た。
…なるほど 他県の人はそう感じているのか。
富士山ばっかだなあ…と苦笑しつつも、
地元は「行くニーズ」だけを必要論の判断の基準にしてしまうが、
「来てくれる」ということは実は盲点か。
もちろん、試算のシュミレーションでは観光収入も織り込み
ロジステックスに纏わる経済効果も見込まれているのでしょうが、
地域感情としてはやはり「オラはのらねえだら~」から発意してしまう。
それでも運行開始から半年くらい経ちましたか…
沖縄や北海道路線くらいが採算ベースで後は下回っているらしい。
JALに足りない分を2億ばかり払わなければとなっていて、
またまた“かまびすしい”。
今のJALには 焼け石に水にも足りない誤差なのでしょうが。
「第二東名」はどうなるのだろう。
まあ中止と言うことはないのだろうが
…もし凍結とかなる可能性が今後増すのであれば非常ににみっともない。
うちの近所を通過する(正確には実家の2Kmほど裏)ために、
森は切り開かれ 造成工事の最中であります。
また、目の前の田んぼには 巨大なコンクリートの柱がバンバン…バン!
(まさにこういう感じ)で立ち並んでいて、
頭に乗っかる道路の完成を待っている。
ここで止められたらたまらない。
積年の思いが凝縮された、某ダム問題とは比べるのも申し訳ないが、
気持ちの根幹は同じように思う。
もし、この異形の柱が…このまま放置されることになるようなら…
ボクは落書きしてやる! 絶対に!
◆◆ お誘い ◆◆
11月6日~8日 わが故郷 森町ではお祭りがあります。
少しご紹介します…
静岡県西部地区最大のお祭りといえば、浜松の祭りが有名です。
これは 城下町浜松のお殿様が第一子誕生の祝いと始めたのが
そもそもの起こりで、今も「我が家の初子を町内で祝う」というもの。
市内170の町内で 巨大な凧揚げ合戦をしたり、
御殿屋台を引き回したりと…
なかなかに盛況な夏のイベントであります。
地元、森町を出て、浜松市内に居を構えている親戚は、
「ボクはここのお祭りの意味がわからないただ騒ぐだけで
…だからなんなんだと感じる」
と言うが、浜松出身者に言わせると
「このお祭りは地元のわれわれだけのためにある。
子供が産まれたことを内輪で祝う
だから身内同士…そういうもの」
…らしい。
実は、ボクはこの歳まで浜松祭りを見たことがなかった。
去年、今年とはじめて体感した。
結論を言えば、その親戚の意見に同感であります。
これは同じ静岡西地区のものが近いが故に
より感じる独特の感情かもしれません。
あの…ただ騒ぐだけ…な感じに共感できない
…のでしたが、
「身内のお祭り」といえばそうなのでしょう、
そもそもお祭りとはそういうものなのでしょう。
…それにしても感じる違和感は…
規模のでかさかもしれない。
どうにも 何を観てよいのか…わからない
あと、初子のお祝いがベースにあるとはいえ、
祭りのコンセプト…
うーん 一本筋が通っていない感じが
どうも乗れないのであります。
このあたりは好き嫌いの範疇ですから仕方ないのですが…
それにしても、身内の大騒ぎ…というわりには
観光客に向けてのパフォーマンスは大掛かりでありました。
森のお祭りはこれに比べては規模も小さい大凧も上がらない…
それでも ボクは大好きなのです。

そもそもは2つの神社の氏子町だけの祭礼だったらしいのですが
大正までの村の細分化や融合を経て、
14の町内が参加する現在の形になったお祭りです。
そもそもは今年の豊年への御礼と来年の五穀豊穣祈願…
いわゆる秋祭りです。
お祭りの開催中は、町内にはそれぞれ2輪屋台を引き回します。
この屋台がなかなか美しく
屋上の浜床には歌舞伎などを模した三車人形がライトアップされ、
車体は総漆塗り。中には 大太鼓 小太鼓が乗り込み、
笛を鳴らす手木には 肉襦袢姿の若い衆が入り
「おっそら」の掛け声も勇ましく 練る。

屋台の前方の長い綱は 町内の子供たちの担当…
おそろいの法被姿で、屋台と一緒に町内を巡るのであります。
森の町内は道が狭く、入り組んでいて
家々の軒をかすりながら右に左に…練るさまは
見ているだけで心が沸き立ちます。
違う町内の屋台がその狭い道で鉢合わせるようなら
喧嘩がはじまります。
どちらも譲らないつばぜり合い…
それが故で遠州の喧嘩祭りとも言われてきました。
ただ、昔、この喧嘩が行き過ぎて…死人がでたこともあり、
現在では自粛…まあ睨み合い…という感じに落ち着いています。
祭りの見どころは2つの神社前に全部の屋台が並ぶ
「お渡り」と最終日の「舞児還し」
「舞児還し」は、
毎年各町内から選び出された子供が舞楽を奉納し、
最終日にはこの舞児を各々の家に送り返すという行事のことで、
舞楽を終えた舞児を 町内の男集が担ぎ、
社から地面につけることなく屋台の前面に納め帰ってゆくという
慣わしなのです。

ボクは 特にこの舞児返しが 大好きで…
実は サラリーマンの時代にひとり新幹線に飛び乗り
この舞児返しだけ観て帰る…なんてことをしていました。
奉納される神社の社へと続く石段の脇の木立から下を見下ろすと
狭い道に町内の屋台が舞児の帰りを待ちながら、ひしめき合っています。
「おそらおっそら!」と掛け合い、大太鼓小太鼓と笛が醸す
独特の調子が響き渡ります。
日が落ちて行く中に 数百の提灯が乱れ
見物客の熱気も重なり、それは活気がある眺めです。
これを観ていると 元気が出てくるのです。
ということで、今年は帰省してじっくり堪能することに決めています。
森の町に住む従兄弟のひとりは、英悟が堪能で
海外の友人をこのお祭りによく誘っていました。
「小さい町の小さいお祭り
…でもそこが 他にはない独特の日本の伝統を感じる。
そのなんというか凝縮された熱が好き」
という感想を 言ってくれるそうです。

小さいが故に 参加している感じを楽しめるのかもしれません。
東京から新幹線で2時間半…
掛川駅から 天竜浜名湖線という在来線で30分
…そこが森町です。
元気のあるなしに関わらず
秋深い田舎のお祭りの気分を味わいたい方は
ふらっと…寄ってください。
知らない町のお祭り というのもよいものです。
大阪モンや[紋谷のソコヂカラ]
投稿日時:2009/09/14(Mon) 15:21
岩田さんの仕事の手伝いで、大阪に行ってきた。
めっきり涼しくなった関東とは違い、まだまだ暑い。
大阪は、サラリーマン時代に、
仕事で、何度も訪れているのですが、
大概は、支社で打ち合わせして
お客さんのところに行き…
あとは梅田とかで飲んで…ほなさいなら!
って強行軍ばかりで、
まともに観光なんてしたことがなかった。
そんな僕を楽しませようと、
「もんやさんに見せたい場所がある…」
と、関空から、バスに乗って岩田さんに連れてこられた。
そこは、大阪天王寺近くの飛田新地…。
現在でも戦前の遊郭がそのままに残っている場所です。
真昼間に男3人 ふらふらと散歩。
こんな時間に歩いて
感じるものがあるのだろうか…と思ったが、
なかなかどうして趣がある。
それぞれの店は、それぞれの屋号の看板がある
小さな木造二階建て。
一階部分は顔見せの場所になっていて、
面白いのは通りに対して
間口が垂直に面しているところ。
わざわざ覗き込まなくても、
よく見えるようにという造りなのでしょう。
昼と言うのに、1間ほどの玄関の中には、
怪しい照明があたっていて、
その真ん中にお姉さんが座布団に座っていて、
脇には、客引き役のオバちゃんが椅子に腰掛けています。
そういう店が…数十件も。
風営法の強化で、この手の商売は、
かなり縮小されたと聞かされていたのですが、
ここは、治外法権なのでしょうか?
大正初期に開かれたという飛田遊郭は、
街全体が文化財の風格。
もちろん売春防止法があるために、
おおっぴらな売春活動は出来ないので、
「小料理屋」という名目で営業しているそうなのですが、
それでも、どの店も堂々と営業されています。
不思議だ。
興味で料金システムを聞くと、
かなりの高額…
いまどきこの料金で成り立つものなのか?
これも、不思議だ。
ほんとうは、そのあたりを、
客引きのおばちゃんに聞きたかったのですが、
ひやかしはエライ目に合うということらしいので、
遠慮しました。
利用させていただく機会はないと思いますが、
この不思議…いつか、調べてみたいと思います。
散歩は、山谷や寿町が裸足で逃げ出すといわれる
日本最大最強の労働者地区「西成 あいりん」へと向かう。
「ここから 空気がかわりますから」
と岩田さんに言われたのだが、ほんとうに変った。
体感温度が低くなったようだ。
ほんとうは、三角公園まで探検したかったのだが…
いちおうスーツ姿の自分が
風景から浮きまくっているのがわかり、
遠慮せざる負えない。
無気力の威圧とでもいうのか、
目を合わせたわけでもないのに、
そこの住人やたむろする労働者から、
拒絶を感じる。
職業安定所の前も、
「ボクはただ歩いているだけですよお~」
と今は、素通りするしかない。残念だ。
マカオも九龍も NYのABCアベニューも
ロンドンやリオの裏街も
…爆弾と地雷の恐怖さえなければ
どこでも大丈夫と自負している
自分だが、ここはそうもいかない。
同じ日本人のせいだと感じる。
しかし くやしいので ここも身なりを整えて(笑)
カメラを片手に
いつかかならずリベンジと決めた。
ここ、「あいりん総合センター」のシャッターが
上がるのは午前5時で、
それ以前に下請けや孫請け企業の手配師がやってくるらしい、
1日の求人は2000人位で、
これに対して求職の労働者は約10倍。
手配師が真っ先に声をかけるのは、
40代の若手層ばかりで、ご年配の労働者は
「おこぼれ」を待つということになるらしい。
センターというか、大きな倉庫のような建物の前には、
労務者が等間隔で 座っていた。
我々の少し前を 女性が歩いている。
どうみても 体にぴっちぴちの寝巻き姿である、
茶髪に買い物のビニール袋を片手に
…そのうちに携帯を手に取る。
「今日は 仕事行くって いうたなあ~
なんで パチンコ屋におんねん?!」
おおっ~きたあ!!
「はあ~知らんわ!うちは忙しいねん。!あほ!死ね!」
追い越すに追い越せず…男3人
彼女の歩調に併せて 後ろを歩く。
「ボケ!カスゥ! だから 知らんわ! 電話してくんな!」
「もう 聞き飽きたわ! …うるさい! ボケ! カス!」
新今宮駅前の横断歩道を渡り
彼女とはさよなら。
「もんやさん どこでもあんなんじゃ
ないですわ ここだから 特別」
と岩田さんがこっそりと耳打ちする。
でも、ボクは、一度でいいから、
あんな風に叱られたい…と
なぜか思ってしまった。
気持ちよいだろうなあ…と。
「じゃんじゃん横丁」は串揚げブームが続いている。
ここは2回目ですが、日曜日の賑わいは
相当で、有名な串揚げやさんの前には長蛇の列。
そこまで味が違うのか?と思うが、
食べないで論じるのは反則なので、
ここもいつか来れたらいいなあと思った。
しかし、このあたりの店の作りは
派手さが色っぽいなあと つくづく思う。
看板文字のフレーズはもちろん
書体や色使い すべてに調和が取れていて、
その下世話なきわどさに
センスを感じてしまう、
歌舞伎町あたりのネオンの洪水とは
同じ「煽り」でもだいぶんと違う。
目にうるさくなく、気持ちよくはいってくる。
東京のそれは
どこまでも無機質でつめたい派手さ
…この違いは大きいなあと思う。
岩田さんのもと部下であった
日置君の家に泊めていただいた。
男2人 銭湯に…いやあ気持ちのよく
ひなびたお湯処で なんとも最高でした。
大阪も梅田あたりから離れると
非常に静かで、落ち着く場所があることを知りました。
最後の夜は 十三なる場所に言ったのですが
ここも面白かった。
あまり東京と比べるのもなんですが、
大阪のよさは 嘘っぽくないところ ですね。
そりゃ みんないろいろ事情がありましょうが、
あまりカッコウつけず 本質的に生きています…
というスタイルが 気持ちよいです。
岩田さん 日置君 ありがとうでした。
めっきり涼しくなった関東とは違い、まだまだ暑い。
大阪は、サラリーマン時代に、
仕事で、何度も訪れているのですが、
大概は、支社で打ち合わせして
お客さんのところに行き…
あとは梅田とかで飲んで…ほなさいなら!
って強行軍ばかりで、
まともに観光なんてしたことがなかった。
そんな僕を楽しませようと、
「もんやさんに見せたい場所がある…」
と、関空から、バスに乗って岩田さんに連れてこられた。
そこは、大阪天王寺近くの飛田新地…。
現在でも戦前の遊郭がそのままに残っている場所です。
真昼間に男3人 ふらふらと散歩。
こんな時間に歩いて
感じるものがあるのだろうか…と思ったが、
なかなかどうして趣がある。
それぞれの店は、それぞれの屋号の看板がある
小さな木造二階建て。
一階部分は顔見せの場所になっていて、
面白いのは通りに対して
間口が垂直に面しているところ。
わざわざ覗き込まなくても、
よく見えるようにという造りなのでしょう。
昼と言うのに、1間ほどの玄関の中には、
怪しい照明があたっていて、
その真ん中にお姉さんが座布団に座っていて、
脇には、客引き役のオバちゃんが椅子に腰掛けています。
そういう店が…数十件も。
風営法の強化で、この手の商売は、
かなり縮小されたと聞かされていたのですが、
ここは、治外法権なのでしょうか?
大正初期に開かれたという飛田遊郭は、
街全体が文化財の風格。
もちろん売春防止法があるために、
おおっぴらな売春活動は出来ないので、
「小料理屋」という名目で営業しているそうなのですが、
それでも、どの店も堂々と営業されています。
不思議だ。
興味で料金システムを聞くと、
かなりの高額…
いまどきこの料金で成り立つものなのか?
これも、不思議だ。
ほんとうは、そのあたりを、
客引きのおばちゃんに聞きたかったのですが、
ひやかしはエライ目に合うということらしいので、
遠慮しました。
利用させていただく機会はないと思いますが、
この不思議…いつか、調べてみたいと思います。
散歩は、山谷や寿町が裸足で逃げ出すといわれる
日本最大最強の労働者地区「西成 あいりん」へと向かう。
「ここから 空気がかわりますから」
と岩田さんに言われたのだが、ほんとうに変った。
体感温度が低くなったようだ。
ほんとうは、三角公園まで探検したかったのだが…
いちおうスーツ姿の自分が
風景から浮きまくっているのがわかり、
遠慮せざる負えない。
無気力の威圧とでもいうのか、
目を合わせたわけでもないのに、
そこの住人やたむろする労働者から、
拒絶を感じる。
職業安定所の前も、
「ボクはただ歩いているだけですよお~」
と今は、素通りするしかない。残念だ。
マカオも九龍も NYのABCアベニューも
ロンドンやリオの裏街も
…爆弾と地雷の恐怖さえなければ
どこでも大丈夫と自負している
自分だが、ここはそうもいかない。
同じ日本人のせいだと感じる。
しかし くやしいので ここも身なりを整えて(笑)
カメラを片手に
いつかかならずリベンジと決めた。
ここ、「あいりん総合センター」のシャッターが
上がるのは午前5時で、
それ以前に下請けや孫請け企業の手配師がやってくるらしい、
1日の求人は2000人位で、
これに対して求職の労働者は約10倍。
手配師が真っ先に声をかけるのは、
40代の若手層ばかりで、ご年配の労働者は
「おこぼれ」を待つということになるらしい。
センターというか、大きな倉庫のような建物の前には、
労務者が等間隔で 座っていた。
我々の少し前を 女性が歩いている。
どうみても 体にぴっちぴちの寝巻き姿である、
茶髪に買い物のビニール袋を片手に
…そのうちに携帯を手に取る。
「今日は 仕事行くって いうたなあ~
なんで パチンコ屋におんねん?!」
おおっ~きたあ!!
「はあ~知らんわ!うちは忙しいねん。!あほ!死ね!」
追い越すに追い越せず…男3人
彼女の歩調に併せて 後ろを歩く。
「ボケ!カスゥ! だから 知らんわ! 電話してくんな!」
「もう 聞き飽きたわ! …うるさい! ボケ! カス!」
新今宮駅前の横断歩道を渡り
彼女とはさよなら。
「もんやさん どこでもあんなんじゃ
ないですわ ここだから 特別」
と岩田さんがこっそりと耳打ちする。
でも、ボクは、一度でいいから、
あんな風に叱られたい…と
なぜか思ってしまった。
気持ちよいだろうなあ…と。
「じゃんじゃん横丁」は串揚げブームが続いている。
ここは2回目ですが、日曜日の賑わいは
相当で、有名な串揚げやさんの前には長蛇の列。
そこまで味が違うのか?と思うが、
食べないで論じるのは反則なので、
ここもいつか来れたらいいなあと思った。
しかし、このあたりの店の作りは
派手さが色っぽいなあと つくづく思う。
看板文字のフレーズはもちろん
書体や色使い すべてに調和が取れていて、
その下世話なきわどさに
センスを感じてしまう、
歌舞伎町あたりのネオンの洪水とは
同じ「煽り」でもだいぶんと違う。
目にうるさくなく、気持ちよくはいってくる。
東京のそれは
どこまでも無機質でつめたい派手さ
…この違いは大きいなあと思う。
岩田さんのもと部下であった
日置君の家に泊めていただいた。
男2人 銭湯に…いやあ気持ちのよく
ひなびたお湯処で なんとも最高でした。
大阪も梅田あたりから離れると
非常に静かで、落ち着く場所があることを知りました。
最後の夜は 十三なる場所に言ったのですが
ここも面白かった。
あまり東京と比べるのもなんですが、
大阪のよさは 嘘っぽくないところ ですね。
そりゃ みんないろいろ事情がありましょうが、
あまりカッコウつけず 本質的に生きています…
というスタイルが 気持ちよいです。
岩田さん 日置君 ありがとうでした。
銀座の定食と戸塚の再開発[紋谷のソコヂカラ]
投稿日時:2009/03/05(Thu) 23:28
銀座8丁目にある居酒屋さん、お昼は定食を出し営業している。
以前、職場が近かったせいで、よく利用させて頂いていたが、
ここのところ、とんと…もう7,8年くらいはご無沙汰をしていた。
当時は、よく混んでいたなあ…という印象でした。
久しぶりに東京に出た折、思いついて立ち寄ることにした。
1時を少し回ったくらいでした…いっぱいか…
と入り口の引き戸を開けると
中は、がらがら
…あれ? お休みか?と 戸惑ってしまった。
すると、奥から、「いらっしゃい」の声…

席に着く前に、注文を先にする段取りのお店なので、
出てきた女将さんに、
「しょうが焼きの定食に納豆を…」と伝え、席に着いた。
「まだ、1時なのに…お休みかと思いましたよ」というと、
「最近は、暇でねえ…」と苦笑交じり…
なんとなく暇を持て余していたお話し好きの女将さんは、
僕が、数年前までよく顔を出していたことを知ると…
「よく来てくれていた客さんの会社が
銀座から引越しをしてしまってね…
もうお昼はいつもこんなものですよ」
なんとなくの会話が彼女の火をつけてしまったようで、
それから1時間…テーブルの僕の前に座り、
女将さんのこのお店の成り立ちについて、
家族のことまで、拝聴することになってしまった。
元は麻布で魚の卸業を営んでいたことに歴史は始まる。
おじいさんが銀座の店舗をいじり、
現在の形になったのがもう数十年前。
近隣の同業者が、次々と店を畳んで行くなか、
父母息子…今はお嫁さんも含め、
助け合い商売を続けておられるそうだ。
商売の秘訣はなんですか?と問うまでもなく、
「ウチはね。材料は国産しか使わない。
だって味が違うもの。高いけどね。
そこのところは変えられないわ」
「先代が比較的派手な方だったんだけど、
夫はまじめなひと。そこがこの商売にはよかったの」
「息子にはよく言うの…どんなに成功しても仕事は一生懸命やりなさい…
日々のがんばりが物事のはじまり」
…話しを引き出してしまったのは僕のせいですが、
おかげで、しょうが焼き食べたんだかなんなんだか…
味も分からず、お茶を代わりしても、もう一杯お代わりしても…
出るに出られず、なんだか長居をすることになってしまいました。
壁に掛けられた往年の歌舞伎俳優のサインの色紙に
纏わるエピソードもそうですが、
昭和の初めから続く、この店の歴史は、
なかなか興味深いものでした。
よい話し、ありがとうございました。
拝啓…もと8もしくは7関係の皆さん、
たまに思い出したら 寄ってあげてくださいな。

僕は、神奈川県戸塚に住んで…17年になります。
故郷の静岡に感じが似ているせいか、どうも居心地がよい。
なんといっても、緑が多い、しかも原生の姿で残っている。
しかし、住み始めた頃から較べると、
都心に近いこのあたりの土地は、少しの空き地も残してはくれず、
マンションや戸建てがニョキニョキと建ち、
おそらく人口は倍近くになっていると思う。
僕の住むあたりは、昔、吉田茂が葉山の自宅から、
国会の在る霞ヶ関まで、ハイヤーだか自家用車だかを飛ばす際に、
東海道の“開かずの踏み切り”に怒り、
新しく国道にバイパスを通してしまった…
その…横浜新道の近くです。
このあたりは、住宅街なのに…日用品の買い物をする場所が…
オンボロなダイエーしかありません。
ボロな割には、週末は大繁盛。
大繁盛なのだから、キレイにすればよいのに、
ずっとボロなまま。
どれくらいボロかというと…
営業妨害になるので控えますが(笑)
そう笑っちゃうくらい…ボロです。
近所には、まともにご飯食べるところもありません。
正確に言うと…出来てはつぶれ、出来てはつぶれ…
多いところは、ここ5年で5件、
飲食のテナントが替わったビルがあるほど。
飲食店だけでなく、和菓子屋、インテリアショップ、ガソリンスタンド、
100円ショップ、なんとコンビにまでもが…
どんどん潰れてゆく。
昔から…ここ17年ずっとです。
正確には、ダイエーの近所に関わらず、
戸塚という町そものもがこういう性質の場所だからなのだと思います。
自宅と駅
自宅とダイエーの往復…
それなりのものは横浜や藤沢に買い物にゆけばよい。
日用品はダイエーで。
この傾向が進み、近所で何かをするということがなくなるドーナツ化。
そんな戸塚が変わろうとしています。
「戸塚西口再開発」

大げさではなく、40年前からの悲願がやっと着工。
江戸時代からの宿場町戸塚は1887年の東海道線開通で一挙に人口が増え、
現在の乗降客数は一日あたり27万人。
この人口の増加に、都市整備が追いつかない典型のモデル。
件の、開かずの踏み切りのせいで、駅の東と西は、
人の行き来が分断、とくに西口は昔ながらの商店街が密集して、
道路は狭く、駐車場は未整備、防災上も不安…という地域。
ここにメスが入りました。
悲願と言うのも大げさではなく、それほどいびつな構造の町です。
整備計画の前提となる「住民の声」を覗いてみると…
もう文句や要望の嵐。
2012年~14年頃には 完成との話しですが、
滞らずに進めて欲しいものです。
戸塚といえば、ブリジストンと日立さん。
両社の従業員がお昼を食べにやってくる…
そんなお客さんが9割の中華料理屋は頑張っている。
店主の威勢が乗り移る店は、繁盛している。
そういう活気があるお店。
味は…まあ普通ですが(笑)
この環境下で頑張っていることは応援したい。
限られた常連客に極度に依存しているということは、
危険もあるということ。
工場ひとつが移転するだけで、
小さなお店はすっとんでしまう。
移転する側の事情はさまざまなれど、
社食の不味さを補ってくれる店に、感謝などない。
この中華屋さんが、野菜炒めのキャベツを国産に
こだわっているとは思えませんが、
それでも、奥さんとパートのおばちゃんと
汗水垂らして働く姿は、
銀座の居酒屋の女将さんが言っていた、
「目の前の仕事をまじめに継続」
この当たり前の言葉を思い出させてくれる。
それにしても、これほど、外食が地盤沈下している場所…
ということは、戸塚在住の家族、我が家の奥さんの手料理は
その分、どんどん上達しているのでしょう。
うらやましいものです。はい。
以前、職場が近かったせいで、よく利用させて頂いていたが、
ここのところ、とんと…もう7,8年くらいはご無沙汰をしていた。
当時は、よく混んでいたなあ…という印象でした。
久しぶりに東京に出た折、思いついて立ち寄ることにした。
1時を少し回ったくらいでした…いっぱいか…
と入り口の引き戸を開けると
中は、がらがら
…あれ? お休みか?と 戸惑ってしまった。
すると、奥から、「いらっしゃい」の声…

席に着く前に、注文を先にする段取りのお店なので、
出てきた女将さんに、
「しょうが焼きの定食に納豆を…」と伝え、席に着いた。
「まだ、1時なのに…お休みかと思いましたよ」というと、
「最近は、暇でねえ…」と苦笑交じり…
なんとなく暇を持て余していたお話し好きの女将さんは、
僕が、数年前までよく顔を出していたことを知ると…
「よく来てくれていた客さんの会社が
銀座から引越しをしてしまってね…
もうお昼はいつもこんなものですよ」
なんとなくの会話が彼女の火をつけてしまったようで、
それから1時間…テーブルの僕の前に座り、
女将さんのこのお店の成り立ちについて、
家族のことまで、拝聴することになってしまった。
元は麻布で魚の卸業を営んでいたことに歴史は始まる。
おじいさんが銀座の店舗をいじり、
現在の形になったのがもう数十年前。
近隣の同業者が、次々と店を畳んで行くなか、
父母息子…今はお嫁さんも含め、
助け合い商売を続けておられるそうだ。
商売の秘訣はなんですか?と問うまでもなく、
「ウチはね。材料は国産しか使わない。
だって味が違うもの。高いけどね。
そこのところは変えられないわ」
「先代が比較的派手な方だったんだけど、
夫はまじめなひと。そこがこの商売にはよかったの」
「息子にはよく言うの…どんなに成功しても仕事は一生懸命やりなさい…
日々のがんばりが物事のはじまり」
…話しを引き出してしまったのは僕のせいですが、
おかげで、しょうが焼き食べたんだかなんなんだか…
味も分からず、お茶を代わりしても、もう一杯お代わりしても…
出るに出られず、なんだか長居をすることになってしまいました。
壁に掛けられた往年の歌舞伎俳優のサインの色紙に
纏わるエピソードもそうですが、
昭和の初めから続く、この店の歴史は、
なかなか興味深いものでした。
よい話し、ありがとうございました。
拝啓…もと8もしくは7関係の皆さん、
たまに思い出したら 寄ってあげてくださいな。

僕は、神奈川県戸塚に住んで…17年になります。
故郷の静岡に感じが似ているせいか、どうも居心地がよい。
なんといっても、緑が多い、しかも原生の姿で残っている。
しかし、住み始めた頃から較べると、
都心に近いこのあたりの土地は、少しの空き地も残してはくれず、
マンションや戸建てがニョキニョキと建ち、
おそらく人口は倍近くになっていると思う。
僕の住むあたりは、昔、吉田茂が葉山の自宅から、
国会の在る霞ヶ関まで、ハイヤーだか自家用車だかを飛ばす際に、
東海道の“開かずの踏み切り”に怒り、
新しく国道にバイパスを通してしまった…
その…横浜新道の近くです。
このあたりは、住宅街なのに…日用品の買い物をする場所が…
オンボロなダイエーしかありません。
ボロな割には、週末は大繁盛。
大繁盛なのだから、キレイにすればよいのに、
ずっとボロなまま。
どれくらいボロかというと…
営業妨害になるので控えますが(笑)
そう笑っちゃうくらい…ボロです。
近所には、まともにご飯食べるところもありません。
正確に言うと…出来てはつぶれ、出来てはつぶれ…
多いところは、ここ5年で5件、
飲食のテナントが替わったビルがあるほど。
飲食店だけでなく、和菓子屋、インテリアショップ、ガソリンスタンド、
100円ショップ、なんとコンビにまでもが…
どんどん潰れてゆく。
昔から…ここ17年ずっとです。
正確には、ダイエーの近所に関わらず、
戸塚という町そものもがこういう性質の場所だからなのだと思います。
自宅と駅
自宅とダイエーの往復…
それなりのものは横浜や藤沢に買い物にゆけばよい。
日用品はダイエーで。
この傾向が進み、近所で何かをするということがなくなるドーナツ化。
そんな戸塚が変わろうとしています。
「戸塚西口再開発」

大げさではなく、40年前からの悲願がやっと着工。
江戸時代からの宿場町戸塚は1887年の東海道線開通で一挙に人口が増え、
現在の乗降客数は一日あたり27万人。
この人口の増加に、都市整備が追いつかない典型のモデル。
件の、開かずの踏み切りのせいで、駅の東と西は、
人の行き来が分断、とくに西口は昔ながらの商店街が密集して、
道路は狭く、駐車場は未整備、防災上も不安…という地域。
ここにメスが入りました。
悲願と言うのも大げさではなく、それほどいびつな構造の町です。
整備計画の前提となる「住民の声」を覗いてみると…
もう文句や要望の嵐。
2012年~14年頃には 完成との話しですが、
滞らずに進めて欲しいものです。
戸塚といえば、ブリジストンと日立さん。
両社の従業員がお昼を食べにやってくる…
そんなお客さんが9割の中華料理屋は頑張っている。
店主の威勢が乗り移る店は、繁盛している。
そういう活気があるお店。
味は…まあ普通ですが(笑)
この環境下で頑張っていることは応援したい。
限られた常連客に極度に依存しているということは、
危険もあるということ。
工場ひとつが移転するだけで、
小さなお店はすっとんでしまう。
移転する側の事情はさまざまなれど、
社食の不味さを補ってくれる店に、感謝などない。
この中華屋さんが、野菜炒めのキャベツを国産に
こだわっているとは思えませんが、
それでも、奥さんとパートのおばちゃんと
汗水垂らして働く姿は、
銀座の居酒屋の女将さんが言っていた、
「目の前の仕事をまじめに継続」
この当たり前の言葉を思い出させてくれる。
それにしても、これほど、外食が地盤沈下している場所…
ということは、戸塚在住の家族、我が家の奥さんの手料理は
その分、どんどん上達しているのでしょう。
うらやましいものです。はい。
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