紋谷のソコヂカラ

やさしさの力

投稿日時:2009/01/01(木) 18:43


「こいつ、暗かったんですよ。いつも黙っていて」。
右足に装具を付けた一柳啓介さんが、
カメラを前におどけてみせた。
隣をゆっくり歩いていた宮崎慶多さんが、
「だって、啓介君、ヤンキーみたいで怖かったから」
さわやかで明るい二人…
ともに難治性の骨のがんで闘病してきた。

出会いは2000年の初夏、
中学3年生だった宮崎さんは骨肉腫で入院、
抗がん剤治療の後、座骨の大半を除去する大手術を受けた。
手術は成功したものの、座骨神経痛を発症して寝たきりに。

4人部屋のベットサイドのカーテンをいつも閉めふさぎこんだ。
食事はのどが通らなくなって体重は10kg以上落ちて42kgに。

そんな中で「部屋が暗くなるだろうが」と、
勝手にカーテン開けるのが、高校生だった一柳さん。
「やめてください」と閉めても、また開けられた。

一柳さん自身、ユーイング肉腫で過酷な抗がん剤治療を
目前に控えていたが、引きこもる宮崎さんが気にかかり、
同室のおじさんと組んで、声かけ作戦を始めたのだ。

宮崎さん
「啓介君、やたら行動的な人で、最初は嫌だったけれど、
いろいろ話すうち、楽しくなって
一緒に病棟探検をしたりするようになりました」と振り返る。

中学の同級生たちが毎日見舞いに来てくれたことも心の支えになった。
単位制高校に入学したが、2年後に肺に再発。
右肺の3分の2を切った。痛みがひどく、気力が萎えそうになった。
同じ骨肉腫の患者で、ずっと励ましてくれた人が
亡くなったことにもショックを受けた。
その時にまた支えてくれたのが一柳さん。

「同じ治療をしてもつらい結果に終わる人もいる。
だからこそ自分たちが生きているだけで、
誰かのためになることもあるんじゃないか」
その言葉が強烈に心に響いた。

 「死んだときに家族や友達が悲しまないように、
 自分の存在が遠くなればいいと考えていた、
 その言葉を聞いてからは、
 病気を抱えながらどう生きるかを考えるようになったんです」

退院後に始めたのが水泳だった。
最初の手術で左のお尻の肉が切除され、
大好きなサッカーや野球が出来なくなったが、
障害者スポーツの世界で記録に挑戦してみたいと考えた。

しかし翌年、右太ももにウズラの卵大の癌が見つかり、また手術。
右足の筋力も大幅に落ちた。
それでも家で毎日、上半身を鍛えるうち、
腕の力だけで水を切って一直線に泳げるようになった。
06年には、障害者水泳大会の日本選手権に
自由形で初出場し3位に入賞した。

50m35秒台の記録は、本人にとっては不満で
「30秒を切るタイムを出して、癌をぶっ倒したい」と意気込む。
高校に通いながら一人暮らしも始めた。
治療が一段落し“自立”への思いが強くなったためだ。
6年通った高校を卒業後、障害者雇用枠で就職、
自転車で通勤している。

一柳さんも病院の看護士さんと結婚し一児のパパに。
宮崎さんの生があるのは、現代医学の力。
だが、生が輝いているのは、
一柳さんをはじめとした仲間たちの「やさしさの力」。

「“自分は癌だけれど、それがなにか?”って感じで、
 普通に生きていきたい。
 そんな姿が、とうびょうちゅうの患者や家族、
 恋人に勇気を与えていけるのでは」と力を込めた。

◆◆

 昇進して部長になって、新しい部下に障害者がいた。
 普通に接しなきゃ…と気を使わなきゃ…
 の中間位の心構えか…

 誰にでも発揮できるちゃんとした優しさを身につけていれば…
 気にすることなど何もありません


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