紋谷のソコヂカラ 2009/4

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食客

投稿日時:2009/04/25(土) 09:30


「韓流ドラマ…なんて観るかい!」
ずっとそう思っていた。 
今までも…これからも…そのジャンルはありえない…
自分は…と。
 
しかし、不覚にも…いや必然にも(笑)
はまってしまった。見事に。
 
今回は、その言い訳を聞いてください。
 
「冬のソナタ」から始まった韓流ブーム…
もうだいぶん経ったなあ…と感じませんか、
でも、まだ5年であります。
 
町のビデオ屋さんの韓国ドラマのコーナーがどんどん増設され、
韓国のスターが次々に生まれ、
草薙君が韓国語をマスターした頃には、
もうあたり一面、韓国ブームに沸いていた。
 
日本人が忘れてしまった 
優しさや…純粋な気持ち…そして気骨
 惹かれる気持ちも分からないではないのですが、
かといって「ヨン様もチェジゥ様も …」自分には無縁のものと、
決めていました。
 
なんか、はじめから漂う
「悲劇やっちゃいますよ~でも最後は、感激しますよ」
的なオーラが、どうも、受け付けなかったんだと思います。
 
「わたし 泣きにゆくの」とか
「感動したいから観るの」
そういうものは準備するものではないような気がして、
敬遠していました。
 
その後の「秋の童話」や「天国の階段」…
「ホテリア」「夏の香り」
女性を中心として、韓国ドラマのフェチさん達から
「いいわよおお」なんて いくら薦められても、
食指は動きませんでした。
 
「一家で観てます“太大四神記”」と言われても、
「へえ~僕は、韓国ドラマ観たことないけど、映画はよく観るよ」
と、スルーしていました。
 
ここで、もう少し
「どのへんがよいのかなあ?」などと質問していたら、
今回、言い訳もする必要はなかったかもしれません。
 
なぜなら、ドラマも進化していた…らしいからです。
韓国ドラマを1本しか、まともに見ていない 
にわかファンの僕には語る資格がないとは思いますが、
日本のメロドラマを模したその作風だけで、
今日まで、韓流ブームが続くわけは、そもそもないことは、
よく考えればわかります。 
しかも、この飽きっぽいことこの上ない、
日本と言うマーケットで。
 
ドラマは観ていないのですが、韓国映画は大変好きで…
「シュリ」以降、かなりへヴィーに観ています。
 ガツン!! と来たのは… 
…いかんいかん 韓国映画について語るとそうとう長くなるので
またに回します。
 
ただ、いいたいことは、「シュリ」以降…韓国映画は、
その質において、目を見張り、脱帽する進化を遂げているということです。
また、ジャンルも多岐にわたり、そのどれもが、独自に進化している。
 
脚本のうまさが秀逸だから、大河ものからコミカルなもの、
恋愛映画も社会派ドラマも…素晴らしい出来です。
特に僕が好きな社会派の映画は、
 
リアリティーの追求に手を抜かないことで、
「濃い」テーマを現代の映像技術に乗っけて表現していますから、
とにかく ガツン!ガツン! 来ます。
ああ…語ってしまう。
話しを戻すと、映画は観ていましたが
ドラマにはまったく興味なしの そんな自分でした。
 
 「食客」


はじめは、WOWOWのちら見…
だったのが…身を乗り出すようになり、録画を重ね…
昨日の最終回は…放送時間に合わせてテレビの前に…
手をもみもみして座ることに。
 
ドラマは 昨年 韓国SBSで、放送されました。
原作は100万部のべストセラーのコミックです。 
主演は「ひまわり」のキム・レウォン。
 
テーマはタイトル通りに 「食」がベース。
韓国最大の宮廷料理店「雲岩亭」を舞台に、
主人公を巡りさまざまな人間が繰り広げるドラマです。
 
見所はやはり、「料理」 です。
雲岩亭の料理を継承する後継者を選ぶために、
主人公が、実の兄や 厨房の同僚と対決したり、
 店の味の決め手 受け継がれた“醤(ジャン)”の復活に、主人公が奔走したり、
幻のスープの味を再現したり…牛肉の品評会があったり…
と、毎回、さまざまな「韓国の食」が織り込まれています。
 
ラストは、世界制覇をもくろむ、日本のレストランチェーンのオーナーに
乗っ取られそうになる「雲岩亭」…
不仲になってしまった 兄弟が…亡き父親のために一致団結し
戦いを挑んでゆくのです。
 
笑顔の貴公子…キム・レウォン 
主人公の兄に クォン・オジュンが演じ、
女性陣は 天真爛漫な女性記者にナム・サンミ
美しく聡明な 雲岩亭の経営室長にキム・ソヨンと
イケメンと美女を配していること以上に、
24話と長丁場でひきつける魅力が随所にあるドラマです。
 
韓国では視聴率が20%を越えて大ヒットしたそうですが、
確かに面白かったです。
 
もちろん、日本の「無駄な演出を排した脚本や台詞まわし」
になれた目には、話しの流れや、わざとらしい「セリフ」に
あれえ~なんて違和感もあります。
 
特に、肝心の出来上がった料理がいまひとつ 
うまそうに見えないということなどは、(笑)
映像技術の問題だったりするのでしょうが、
それでもいつの間にか、主人公のひたむきな在り方とその笑顔に
…不肖 紋谷 ひきつけられてしまいました。
 
と、ここまでが 言い訳ですが… 
今までの韓国ドラマにはなかった 「食」というテーマが
大ヒットした韓国ドラマ…
これからも新しいジャンルでの進化が見られると思われます。
 
これを機に、韓流ドラマフェチには…なるかどうかは
自分でもわかりませんが。
 
ちなみに、「食客」 
このGWに 映画も日本で公開されます。
 (キャストは替わっているので、そこは残念ですが)
 
釜山国際映画祭のフィルムマーケットでも大人気で、
海外バイヤーの多くが購入のオファーを出したそうです。
日本からも3.4社の配給会社が動いたのですが、
監督は「日本には売らない」と即断したそうです。
 
その理由は、 映画の後半に描かれた「日本の扱い」を巡り、
手直し(編集)を日本側が要求したからとのこと。
 
韓国⇒日本の葛藤について、日本人が不快感を持つので 
…という要求に対して、
「利益のために作品を傷つけることも話しにならないが、
歴史的理由ならなおさらのこと」と。
 
それが、どんな経緯でこのGWに公開されることになったのかまでは 
知りませんが、僕としては うれしい話し
もちろん、映画祭での公開フィルムのままでの上映を期待しています。
 
 
…WOWOWでの放送が 昨夜最終回 …草薙君笑える
頑張れ …そんなこんなで 今回はこんな話しでした。


壮年諸氏に向けて 

投稿日時:2009/04/20(月) 09:53

「草原の椅子」
 毎日新聞社・幻玄社文庫・新潮文庫
 


この本は四十歳過ぎた壮年の男性には
ぜひお読みいただきたい小説です。
 
宮本輝さんの小説との初めての出会いは
「青が散る」
テレビドラマ化されたこともあり、興味を持ち、
読んだのがきっかけでした。

郊外に新設された、3流大学での青春群像劇。
ドラマでは、まだ、若かりし佐藤浩一や石黒賢、
遠藤憲一、川上麻衣子などが…校舎の裏手の空き地を
整備して、テニス部を作ってゆくという話しで、
毎回、欠かさず見ていていました。
 
当時、僕自身も大学に入学したてだったこと、と、
テニスは中学から続けていたので、
そんな親近感もあったのでしょうが、
ともに、ドラマ初出演である、石黒賢と二谷友里恵の主人公二人が、
その演技のあまりのひどさにも関わらず、
妙に芯に残る演出が印象的であり、
そこにひきつけられたように思います。
 
また、ドラマの終わりが、期待している終わり方ではなく、
そこに物足りなさを覚え、これは小説を読めば、答えが分かるかも…
という気持ちも強かったです。
 
結果的には、小説を読んだ後に、格別新たな発見はなく、
「ああ、こういう原作が、ああいうドラマだったんだなあ」
というだけのものでした。

その次に 「優駿」…
これも映画がきっかけで読んだのですが、
映像が、それはそれでうまく出来ていたので、
エンタテイメントとして満足してしまい。
小説も素晴らしいのですが、印象としては
「映画の優駿」として記憶に残りました。
 
そもそもの代表作の「泥の河」も、
映画にいたく感動したせいか、遡っての原作は未読です。


「道頓堀川」はそれなりの映画でしたが…
あえての深く探ろうとも思わず、
原作者は知っていましたが、
改めて読み直すことは、しなかったです。
 
そういう意味では、まだこのあたりは宮本輝の作品が好きだ…
という思いはまったくなかったです。
 
「ここに地終わり 海始まる」 講談社
を読んで、ああ…いつかポルトガルに行きたいなあ…
などと感じたのが、30歳過ぎ…
 
物語のはじまりともなっている、
ヨーロッパの西の端の「ロカ岬」に立ち、
小説のタイトルと同じ、ルイスデ・カモン・イスの
叙事詩の一節が記された、石碑を見て、


ああ、あの本のイメージはここがスタートなんだなあ…
と実感もしたのですが、
まだ、宮本輝さんを追いかけてみようは思ってはいません。
 
彼の作品は「生きるヒント」に満ちているとよく言われます。
 
人生の再出発をテーマにしているものが多いせいでしょうが、
そもそも僕自身の20歳~30歳は、
「生きるヒント」を欲していませんでしたから、
ここまで読んでも、心にシンクロしていなかったように感じます。
もう少しいえば、「その説教はうるさい」という感じですか…。
 
「草原の椅子」が1999年、朝日新聞で連載が始まりました。
購読していたせいもあり、たまに連載を読んでもいたのですが、
その頃の自分には、まったく響かず、書籍化されてから、
読み直そうという気持ちも皆無でした。
 
40歳を過ぎ離婚と退職を経験した後、
少し放浪しようと思い立ち、ひとりアジアに出かけました。
旅の中盤、インドを巡る最中です。
 
ムンバイかコルカタか…はっきり覚えていませんが、
安宿をねぐらと決めて、何日かあたりをさまよっていたら、
街角に「古本屋」を見つけました。
 
この手の本屋さんは 旅人が捨てた本、
もしくはいくばくかの代金で置いていく、さまざまな本で
成り立つ商売です。 そのほとんどはいわゆる
「ペーパーブック」の類。
 
バックパッカーが暇つぶしに、故郷もしくは旅先で買った、
安手の紙でできた軽い(重量がという意味です)
小説を、読み終わり…荷物になると、捨てる代わりにおいてゆく、
そういう本で溢れています。
 
日本の本は、ほとんどありません。

これは、そもそも日本人が 小説を携えて世界を回ることを
しない文化というわけではなく、
買った小説がそれなりの値段で、
装丁もちゃんとしていて、…お気軽に捨てて行く…
そういう本ではないからなのでしょう。
 
案の定、その古本屋も英語やドイツ語で書かれた
ペーパーブックで溢れていました。
 
それでも、「ジャパニーズ?」と店主に聞くと、
暗い店内の 奥の一角を指差します。
 
本棚の片隅に30冊程度、
日本語で書かれた本が置かれた…
はさまっていました。
 
異国の街角の本屋に置いていかれた日本の小説…
誰がいつ、なぜこの本を買い、どうしてここにあるのか…
このままこの本たちは、ここで朽ち果ててゆくのだろう
という妙な感傷…そう思うと、
なんか可笑しくもあり、また、僕がちゃんと選んで、
この本の宿命(読まれるために存在するという)を
受け入れようというへんな使命感も感じるから不思議です。
 
30冊の本は…そのジャンルもバラバラで…
詳しくは覚えていませんが、司馬遼太郎や松本清張や太宰治なんて
感じであったように記憶しています。
 
旅が暇なタイミングであったことや、
日本が恋しいタイミングであったこと、
そのせいで何冊か買い求めました。
 
その1冊が「草原の椅子」の“上巻”でした。
上でなければ 買わなかったと思います。
 
当たり前ですが、中には、「地の指」
松本清張 角川文庫 下巻 などがあり、
こちらの小説は、ぜひ読みたい本であったのですが、
下巻ではなあ~と、これがカドカワノベルス初版であればなあ…
とまことに残念でした。


 
上下本の場合、下巻をおいて置かれても…
ああこの本の運命はここまであったか…です。
 
まあ、そんな出会いで 「草原の椅子」を読んだのですが、
これが、素晴らしく心に届いてくる。
 
異国にひとりという環境を差し引いても、
びんびん来るのです。
 
たった、7,8年しか違わないのに、
30歳半ばでは、まったく共感できなかった
この小説の「生きるヒント」は、
すんなりと気持ちよく心に落ちてきました。
 
50歳を前にした、ひとりのサラリーマンがその歳になり、
ひとりの親友を得て、さまざまな人物に出会い、
あるべき姿を体感してゆくという話しです。

出会いそのものも、5歳の虐待を受けた少年がいたり、
妻と別れて新たな道を進もうとする中年親父がいたり、
心が弱く自分を律せない少女がいたり、
ひとりで陶器店を経営する妙齢の女性がいたり、…とさまざまで、
それがふたりの日常に関わり、
起る出来事にそって描かれています。
 
宮本輝はこの小説を書き始める 直前…
「阪神淡路大震災」を、そのど真ん中で体験し、
「人間の幸福にとってさして重要でないものを、極端にいえば、
かえって不必要なものを多く背負い込み、
購買し消費してきた~それがただの数十秒で、膨大なゴミと化した…
ただ呆気にとられている~人間の幸福とはなんなんだろう?」
と感じたらしい。

そしていつまでも呆気にとらわれていても仕方ない中で、
言葉を紡ぎ、吐き出した…
それがこの小説らしいのです。
 
だから、物語の随所に、当時の日本を覆いつくす空気…
価値観や風潮…その中にある「心根の貧しさ」を
主人公の言葉を借りて、読者に訴えている…
その訴えが30歳半ばの“僕”には、「うるさい」と 感じ、
40歳を過ぎた“僕”は、気持ちがよいと感じだようです。
 
それは、僕がそうであったというだけで、
壮年期の男性がどう感じるかはわかりません。
 
昔の同級生と新橋の街角で、たまたま出会い、
そのままなんとなく、立ち飲み屋で呑んで、今の近況など
本音で話しているうちに「じゃあ もう一軒行くか」 
と盛り上がる…
 
まあ、僕なりのイメージで宣伝するなら…そんな本です。

父からの便り

投稿日時:2009/04/13(月) 04:19

高速料金値下げについて、
利用者は概ね「ありがたい」という感想なのが気になった。
 
念のためこの値下げは、高速道路会社が
大盤振る舞いをしてくれたわけではない、
値下げ分は国民の税金で補填される。
 
一般に、税金は社会全体の問題解決に使われるので、
個人レベルで受益と負担の比率を論じるのは
不向きかもしれないが、今回の値下げは、
割り勘で酒を呑むようなもので、
飲めば飲むほど…いや、走れば走るほど、
受益の比率を上げられる。
 
「土日、休日上限1000円」と「平日昼間3割引」を
2年間実施するためには、年間50億の血税が投入される。
 
つまり単純に人口で割れば、一人当たり割引額が
4000円強になるまで走らないと、
「割り勘負け」をする勘定になる。
 
そうはしたくないからと、無理に呑む、
いやは走るというのもおかしいし、
ましてはCO2を減らそうという時代でもある。
 
そもそも、車にETCがない人には、受益はゼロであり、
一滴も呑めない友に、割り勘を強要しているようなものだろう。
 
利用者がこぞって喜んだとのニュースは多いが、
この割り勘負けの報道が、少ないのはおかしいのではないか。
…とまあ、こんな感じで父からの便りはやってくる。


 
そもそも今回のテーマは、わが実家で購読している、
新聞のコラムを読んで、その内容を父なりに解釈しているようだ。
 
父からは 暇つぶしなので返信は無用とある。
 
前回の便りでは、
「癌が難病指定ではない理由はなにか」と言うテーマ。
 
この世で一番のれっきとした“難しい病気”ではないか、
厚生省が認定し医療費に対する補助を制度化すべきではないのか。
という内容でした。
 
解釈としましたが、これら父からの便りのテーマは
「おかしい」と感じる世の中の出来事に対する疑問がほとんどで、
その多くは、それなりの理屈はつけられるが
本質的には間違っているという答えが存在する
そういうテーマになる。

世の中の不平等、不条理を憂うのは簡単だが、
甘んじて享受するのはいかがなものか…ということである。
 
先週、父の姉が今年の米寿の誕生日を前に亡くなった。
去年末に長兄が、先月に母の義理の兄が他界し、
立て続けである。
 
生前、父は姉に対して、このように、
思いついた事柄を手紙にしたため、
月に1度は出していたようで、そのあて先が他界し、
矛先が僕に回ってきたというわけらしい。
 
この姉は、生涯を独身で通したのだが、
甥の目からも大した才女であり、
なにより、あいまいさを良しとしない傑女でありました。
 
晩年は、自ら進んで老人ホームに入居し、
誰の世話にもならぬ幕引きを
当たり前のように選んでいたようで、

死んだ後の葬儀全般や納骨の手配も、
亡くなる数年前に自ら終えているばかりか、
遺言も書き残していて、
我々、親族があたふたとすることがないよう、
一切の取り仕切りを終えてあり、
一同「さすがおばちゃんだ」と
改めて感じ入った次第です。
 
出棺には、老人ホームの入居者や職員が、見送りに出てきてくれ、

「みなさまお世話になりました。
  私はみなさんと一緒に生活できて嬉しかった」と
これも予め用意されていた手紙をもう一人の叔母が代読する運び、

そして

「…わたしはこういうはっきりとした性格でしたから…
 不快に感じたこともあかもしれません…ごめんなさい」
という配慮の一文も。
 いやいや、なんとも見事な旅立ちでございました。
 
こんな叔母を相手に書かれていた父の手紙、
その間にはどんなやりとりがあったのかは知りませんが、
叔母が他界し、今度は僕に届くとなると…
いくら返信無用と言われても、
いくばくか、責任を感じてしまいます。
 
先日、30年近く交流の在る友人と酒をともにした折、
図らずも、彼とは離れてひとりで暮らす母親への思い、
そもそもの息子の責任の所在や相容れぬところもある
お母さんのご自身の心情…など、彼の心中を聞き、
我々の歳になって味わう、親への思いと、
自身が置かれている現実と、
本来あるべき親子の姿…などを語り合いました。
 
そのせいか、この父からの便りにも、
何がしかの意味のある返事を書かねば…
そういうことからだろ、と思ってはいるのですが、
どうにも、こうにも、
気の効いた返事と言うのが思い浮かびません。
 
割り勘では、負けたたことがないので…
負ける側の気持ちと言うものがわかりません…
違うなあ。
 
利用するものが限られた優遇措置は、高速道路に限らない。
高速道路料金では負けても、他で勝てばよいのではなかろうか…
これも違うなあ。
 
そもそも、減価償却が終了しているのに高速料金を徴収する
もしくは、一律で徴収する、
この発想からしておかしい…
これも違うなあ。
 
こんど、ドライブに行きましょうか……
ううむ。
 
マスコミは偏ったプロバガンダでしかないから、
あまり気にしても仕方ないよ……
違うなあ。
 
黙って読んでおけばよいというのが一般的な正解なのでしょうが…
なにか諸兄のアドバイスありましたら…


にっぱち道

投稿日時:2009/04/04(土) 22:30

昭和56年渋谷「にっぱち」は一大ヴームを巻き起こした。
この「悪魔のゲーム」とも言われ、以後、公の場から姿を消した、
幻のトランプゲームは、当時、東急文化会館の裏にあった
喫茶店PATIOで、誕生したと言われている。



しかし、実際にはこのゲームが、いつ、
誰によって考案されたのかは、謎である。
 
一説には、辛亥革命の時代の中国、上海に在住していたイギリス人が、
その発案者とも言われているが、それはこのゲームが、
“麻雀の要素を取り入れているトランプゲーム”であるということと、
当時、魔窟と言われた上海に在留するヨーロッパ人が、
自分達の興じるギャンブルを求めていたことに由来する。
 
ゲームそのものは、誠に単純ながら…その奥深さは、人を惑わせ、
あまりの面白さに、人は溺れてゆく…
それが悪魔のゲーム、または、
サタンのゲーム…といわれ、封印された所以であろう。
 
まずは、手元に5枚のカードを配り、
1枚を場に(オモテにして)置く、
残りは山にして、これも場に置く。
順番は時計回りに進行する。

プレーヤーは場にあるカードと
「同じ数字もしくは同じマークのカード」を捨てることができ、
早く手持ちのカードがなくなったものが勝利者となる。
 
…とここまでは …そう…UNOの単純版である。
※UNOの場合、まだゲームは続くが、
にっぱちは、ひとり上がって1回終了である。

にっぱちは数字の2と8を意味し、
この2枚は、ゲームの進行に特別の役割を持つ。

8はオールマイティーのカード、数字、
マークに関係なく場に捨てることが出来る上に、
捨てるものは次のプレーヤーにマークの指定が出来る。

2が捨てられた場合、次のプレーヤーは2しか出すことが出来ない。
…手持ちにない場合は、山より新たに2枚引く羽目になり、
仮に重ねて2を出されたらその次のプレーヤーは、
4枚引かなければならない…という嫌がらせのカードである。
 
…なんだ、それもUNOみたいじゃないか? 
と思われることと思う。

これだけなら、「悪魔のゲーム」などとは言われはしない。
面白いのは、にっぱちには、「どっちん!」があるということである。
 
どっちんとは、誰かが、カードを捨てる…その瞬間、
自分の手持ちのカードの数字の合計が、
その捨てられたカードの数字になる場合、
「どっちん!!」と宣言して、ゲームは終了、
勝者となる。

たとえば、自分の手持ちが
 
2 3 5
 
の3枚だったとしよう。 

誰かが、場に10を捨てた…その瞬間に「どっちん!!」
を宣言でき、勝者となる。
 
また、さらにどっちんには「返し」というものが存在する。
上の例で説明すると…
10を捨てたプレーヤーの残りの手持ちカードの
数字の合計がポイントで、
 
たとえば 
10を捨てたプレーヤーの残りの手持ちの数字の合計が10の場合、
どっちんを宣言したプレーヤーに「返し!」と宣言することができ、
逆転勝利を勝ち得るのである。
 
この返し技こそが、にっぱち最大の美学であり、
プレーヤーが目指す至福の極みともいえる。

つまり、にっぱちにおいて、冒頭書いた、
手持ちの札を順番に捨てて行き…無くす 
という行為は意味を成さない。

もっといえば、それで勝ちを得てたプレーヤーは、
「ションベンタレ(関西弁のへタレの意)と揶揄される。
また、「2を捨てる」この行為も同様に、
「ションベンタレ」=場をダメにする行為と見なされ、
上級者同士の対戦で、こんなことをしようものなら…
永久追放となる。
 
また、このゲームは、ギャンブルであり、
他のプレーヤーいかにマイナスにして、
自分がプラスになるかを競うことが本来で、
そのための点数は、ゲーム終了時の持ちカードで決定する。

どっちんによってゲームが終了した場合、
①どっちんしたものが勝者で、場の点数を総取りすることができる。
  (これは普通に誰かが手持ちのカードを捨てきって勝利した場合も同様)
 
②どっちんをした者、された者、その両名以外のプレーヤーは
 単純に手持ちのカードの数を合計(端数は取捨五入)し、
 それを2倍にした数字をマイナスとして申告する。
 
③合計する場合…8は20と数える
 (特別な役割のカードであるため価値が高い)
  また、JQKの絵札は共通して10と数える
  手持ちに2がある場合、
  合計×2から更に枚数に応じて倍×倍とする。
 
④どっちんされたプレーヤーは、どっちんした者の手持ちのカード
 も含め合計、自分のマイナスとして、計算しなければならない
 
 たとえば…Kをどっちんされ、
 手持ちに2 2 8 Q の4枚の手札があるとする。
 相手(どっちんしたプレーヤー)の手札の合計は…13
 …その内訳が5 8 だったとする。
 合計しなければならないカードはK 2 2 8 Q 5 8の7枚。
 69を四捨五入して70 
 これをまず倍にして140 
 2が2枚あるので 更に×倍×倍で560 となる。
 
 いかに他のプレーヤーにカードを残して終了させるかが、
このギャンブルの醍醐味なのである。
 
また、このゲームは高速で進行する。
長考は許されず、もたもたしているプレーヤーは、
やはり上級者の場には入ることが出来ない。
プレーヤーは、配られたカードを見て、瞬時に戦略を練る。
 
具体的な戦略はさまざまあるが、この場では書かない。
それはプレーやが自分で見つけるものだからだ。
 
「いかに相手がカードを捨てられないように、
 その場をコントロールするか」

「どっちんをするための手作りを、
 手札と新たにやってきたカードで瞬時に判断する」

このあたりは麻雀に通じるものがあります。
 
プレーヤーは、あくまでどっちんを狙い、返し技に固執する、
そこにこのゲームの精神…「どっちん道」が宿っている。
 
どっちんという、ゲームはその魔力ゆえに封印されたと言ったが、
ルールを伝え、精神を伝承する者は存在する。
 
それが「にっぱち 正規伝道者」であり、
かく言うわたしもそのひとりであります。
 
わたしは、昭和56年の渋谷で、まさにこのにっぱちヴームを体験し、
苦難の連続を経て、その4年後、
帝王(にっぱち最高の位)より「伝道者の称号」を頂いた。
 
苦難とは大げさだが、上記のようなゲームの進行の中、
ぺいぺいの私は、プレーをしながら…常に書記をやらされた。
諸先輩のマイナスの申告を聞き取り、回数ごとに合計して、
リアルな数字を出し続ける…単純な作業だが、

「もんや いま おれ いくら マイナス?」 

この質問に即座に答えないと…怒鳴られる。
従って、「後で、計算します」などとは口が裂けてもいえない。
 
1回の集計を急がないと、もう、次の手札が配られていて、
もたもたしていると「遅い!!」と怒鳴られる。
まるで、負けているのがわたしのせいの如しだった。
 
その書記業務は…結局4年間続いた。
それでも、負けないプレーヤーでいられたことは、
僕がこのゲームに向いていたのであろう。
 
当時の、話を書くといくらスペースがあっても終わらないので、
またいつかの機会に。
 
とはいえ、あれから28年が過ぎ… 
このゲームをやることもなくなってしまった。
 
誰か興味があったら、いっしょにやりましょう。
 
 にっぱちは 4人でやるがよい。
3人は なおよい。
2人では 終わらず。
5人ではつまらず。



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