紋谷のソコヂカラ 2009/4/20

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壮年諸氏に向けて 

投稿日時:2009/04/20(月) 09:53

「草原の椅子」
 毎日新聞社・幻玄社文庫・新潮文庫
 


この本は四十歳過ぎた壮年の男性には
ぜひお読みいただきたい小説です。
 
宮本輝さんの小説との初めての出会いは
「青が散る」
テレビドラマ化されたこともあり、興味を持ち、
読んだのがきっかけでした。

郊外に新設された、3流大学での青春群像劇。
ドラマでは、まだ、若かりし佐藤浩一や石黒賢、
遠藤憲一、川上麻衣子などが…校舎の裏手の空き地を
整備して、テニス部を作ってゆくという話しで、
毎回、欠かさず見ていていました。
 
当時、僕自身も大学に入学したてだったこと、と、
テニスは中学から続けていたので、
そんな親近感もあったのでしょうが、
ともに、ドラマ初出演である、石黒賢と二谷友里恵の主人公二人が、
その演技のあまりのひどさにも関わらず、
妙に芯に残る演出が印象的であり、
そこにひきつけられたように思います。
 
また、ドラマの終わりが、期待している終わり方ではなく、
そこに物足りなさを覚え、これは小説を読めば、答えが分かるかも…
という気持ちも強かったです。
 
結果的には、小説を読んだ後に、格別新たな発見はなく、
「ああ、こういう原作が、ああいうドラマだったんだなあ」
というだけのものでした。

その次に 「優駿」…
これも映画がきっかけで読んだのですが、
映像が、それはそれでうまく出来ていたので、
エンタテイメントとして満足してしまい。
小説も素晴らしいのですが、印象としては
「映画の優駿」として記憶に残りました。
 
そもそもの代表作の「泥の河」も、
映画にいたく感動したせいか、遡っての原作は未読です。


「道頓堀川」はそれなりの映画でしたが…
あえての深く探ろうとも思わず、
原作者は知っていましたが、
改めて読み直すことは、しなかったです。
 
そういう意味では、まだこのあたりは宮本輝の作品が好きだ…
という思いはまったくなかったです。
 
「ここに地終わり 海始まる」 講談社
を読んで、ああ…いつかポルトガルに行きたいなあ…
などと感じたのが、30歳過ぎ…
 
物語のはじまりともなっている、
ヨーロッパの西の端の「ロカ岬」に立ち、
小説のタイトルと同じ、ルイスデ・カモン・イスの
叙事詩の一節が記された、石碑を見て、


ああ、あの本のイメージはここがスタートなんだなあ…
と実感もしたのですが、
まだ、宮本輝さんを追いかけてみようは思ってはいません。
 
彼の作品は「生きるヒント」に満ちているとよく言われます。
 
人生の再出発をテーマにしているものが多いせいでしょうが、
そもそも僕自身の20歳~30歳は、
「生きるヒント」を欲していませんでしたから、
ここまで読んでも、心にシンクロしていなかったように感じます。
もう少しいえば、「その説教はうるさい」という感じですか…。
 
「草原の椅子」が1999年、朝日新聞で連載が始まりました。
購読していたせいもあり、たまに連載を読んでもいたのですが、
その頃の自分には、まったく響かず、書籍化されてから、
読み直そうという気持ちも皆無でした。
 
40歳を過ぎ離婚と退職を経験した後、
少し放浪しようと思い立ち、ひとりアジアに出かけました。
旅の中盤、インドを巡る最中です。
 
ムンバイかコルカタか…はっきり覚えていませんが、
安宿をねぐらと決めて、何日かあたりをさまよっていたら、
街角に「古本屋」を見つけました。
 
この手の本屋さんは 旅人が捨てた本、
もしくはいくばくかの代金で置いていく、さまざまな本で
成り立つ商売です。 そのほとんどはいわゆる
「ペーパーブック」の類。
 
バックパッカーが暇つぶしに、故郷もしくは旅先で買った、
安手の紙でできた軽い(重量がという意味です)
小説を、読み終わり…荷物になると、捨てる代わりにおいてゆく、
そういう本で溢れています。
 
日本の本は、ほとんどありません。

これは、そもそも日本人が 小説を携えて世界を回ることを
しない文化というわけではなく、
買った小説がそれなりの値段で、
装丁もちゃんとしていて、…お気軽に捨てて行く…
そういう本ではないからなのでしょう。
 
案の定、その古本屋も英語やドイツ語で書かれた
ペーパーブックで溢れていました。
 
それでも、「ジャパニーズ?」と店主に聞くと、
暗い店内の 奥の一角を指差します。
 
本棚の片隅に30冊程度、
日本語で書かれた本が置かれた…
はさまっていました。
 
異国の街角の本屋に置いていかれた日本の小説…
誰がいつ、なぜこの本を買い、どうしてここにあるのか…
このままこの本たちは、ここで朽ち果ててゆくのだろう
という妙な感傷…そう思うと、
なんか可笑しくもあり、また、僕がちゃんと選んで、
この本の宿命(読まれるために存在するという)を
受け入れようというへんな使命感も感じるから不思議です。
 
30冊の本は…そのジャンルもバラバラで…
詳しくは覚えていませんが、司馬遼太郎や松本清張や太宰治なんて
感じであったように記憶しています。
 
旅が暇なタイミングであったことや、
日本が恋しいタイミングであったこと、
そのせいで何冊か買い求めました。
 
その1冊が「草原の椅子」の“上巻”でした。
上でなければ 買わなかったと思います。
 
当たり前ですが、中には、「地の指」
松本清張 角川文庫 下巻 などがあり、
こちらの小説は、ぜひ読みたい本であったのですが、
下巻ではなあ~と、これがカドカワノベルス初版であればなあ…
とまことに残念でした。


 
上下本の場合、下巻をおいて置かれても…
ああこの本の運命はここまであったか…です。
 
まあ、そんな出会いで 「草原の椅子」を読んだのですが、
これが、素晴らしく心に届いてくる。
 
異国にひとりという環境を差し引いても、
びんびん来るのです。
 
たった、7,8年しか違わないのに、
30歳半ばでは、まったく共感できなかった
この小説の「生きるヒント」は、
すんなりと気持ちよく心に落ちてきました。
 
50歳を前にした、ひとりのサラリーマンがその歳になり、
ひとりの親友を得て、さまざまな人物に出会い、
あるべき姿を体感してゆくという話しです。

出会いそのものも、5歳の虐待を受けた少年がいたり、
妻と別れて新たな道を進もうとする中年親父がいたり、
心が弱く自分を律せない少女がいたり、
ひとりで陶器店を経営する妙齢の女性がいたり、…とさまざまで、
それがふたりの日常に関わり、
起る出来事にそって描かれています。
 
宮本輝はこの小説を書き始める 直前…
「阪神淡路大震災」を、そのど真ん中で体験し、
「人間の幸福にとってさして重要でないものを、極端にいえば、
かえって不必要なものを多く背負い込み、
購買し消費してきた~それがただの数十秒で、膨大なゴミと化した…
ただ呆気にとられている~人間の幸福とはなんなんだろう?」
と感じたらしい。

そしていつまでも呆気にとらわれていても仕方ない中で、
言葉を紡ぎ、吐き出した…
それがこの小説らしいのです。
 
だから、物語の随所に、当時の日本を覆いつくす空気…
価値観や風潮…その中にある「心根の貧しさ」を
主人公の言葉を借りて、読者に訴えている…
その訴えが30歳半ばの“僕”には、「うるさい」と 感じ、
40歳を過ぎた“僕”は、気持ちがよいと感じだようです。
 
それは、僕がそうであったというだけで、
壮年期の男性がどう感じるかはわかりません。
 
昔の同級生と新橋の街角で、たまたま出会い、
そのままなんとなく、立ち飲み屋で呑んで、今の近況など
本音で話しているうちに「じゃあ もう一軒行くか」 
と盛り上がる…
 
まあ、僕なりのイメージで宣伝するなら…そんな本です。

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