紋谷のソコヂカラ ブログテーマ:本

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おい あんちゃん!元気か?

投稿日時:2010/04/24(土) 20:33

 「おい あんちゃん!元気か?」

 

おっさんに、突然話しかけられた。

 

小田原からの上り…東海道線の車中、座るや否や、
弁当を食い始め、終わるや否や
カップ酒を片手に新聞を読み始め、

「春一番ですねえ~♪」と鼻唄を唄い出した おっさんにであります。

 

「おっ!! ガッツポーズ! いいねえ 格好いいねえ!!」

 

「おっ!! かんどりしのぶ いいねえ!! しのぶぅ~あめ~♪」

 

スポーツ新聞の記事をみながらの大きなひとりごとを連発している。
時折、僕の方をちらちら見ているような気配、もちろん知らん顔をしていた。

 

こういうおっさんは、さびしがり屋で、話に乗ろうものなら、際限がなく、
面倒くさくなるのがオチなので、もちろん知らん顔をしていた。

 

「普天間ねえ~なんだかなあ~時の流れに身を任せぇ~♪」

 

「事業…しわけ…申し訳けねえ~なんてな」

 

事態は、エスカレートする方向のようだ。

 

このまま放置して、この浪花節ギャグを我慢するか…決断が迫られている。

…と、おもむろに、キタ!!

 

「おい!あんちゃん 元気か?」

 

仕方ない。

 

「元気そうにみえますか?」

 

「見えるねえ~見える 人生悩みなし!って感じだ うほっうほっ」

 

「どのあたりが?」

 

「どのあたりもこのあたりも…うほっうほっ…」

 

この、うほっうほっは、会話の間、ずっと続くのですが、面倒くさいので省く。

 

「アイルランドのかざんばいってのは、あれかい、そんなにすごいのかい?」

 

「アイス!…ランドのですね。飛行機のエンジンの中に入ると大変らしいですよ」

 

「ふーん。アイルランドから、こっちにゃ来ないのかい?」

 

「アイス!…ランドは、遠いですからね 
日本じゃ、中国から黄色い砂が来るくらいですかね」

 

「…でもなあ 空港の人が あれだろ 帰れねえ外国人とかに毛布貸したり、
どっかタダで連れてったりしてんだろ。えらいねえ…おれは感激したよ」

 

「ほかの国じゃ、なかなかしないでしょうね。ああいう日本人らしいところ、
僕も好きです」

 

「ふーん。でさあ、沖縄のアメリカの基地は、どうなんだい? 」

 

「どうというのは?」

 

「だから 結局、どうするのさ」

 

「どう?…と言われても」

 

「なんか解決策はあるのかい? あんちゃんならどうする?」

 

「僕が、決めていいんですか?」

 

「いい いい 任せる 」

 

「…そうですね。…全国、すべての地方自治体に公募するんですよ。」

 

「こうぼ?」

 

「ええ。土地を提供したら、毎年100億円の特別助成金かなんか出すからって」

 

「…で、くるかえ?」

 

「グアムがよいなら、もう北海道の僻地でも、東北の寒村でも 瀬戸内の無人島でも 
なんでも同じでしょ。財政の赤字や過疎に悩む自治体なら手をあげるんじゃないかと」

 

「ふーん。でも、100億はたけえなあ~」

 

「50億くらいでもいいんですが、大切なことは、政権が変わっても未来永劫、
基地がある限り、助成金は保障ってお墨付きがないといけないですね。」

 

「法律で決めるんかい?」

 

「法律は出来ても、変えられちゃうから、簡単に反古にできないやり方で…

そこまでしたら、おらが村に基地を…って、殺到しますよきっと」

 

「ふーん。間に合うんかいそれで?」

 

「頭下げりゃいいんですよ。ごめんなさいって、…で仕切り直し。

頭下げてうまく治まれば、5年したら笑い話しです」

 

「ふーん あんちゃんも呑むかい?」

 

「いえいえ ぼくは結構です」

 

「その荷物はなにがはいってるんだい?」

 

「母ちゃんのつくった 筍の煮物とふきの佃煮と…」

 

「おっ!いいねえ」

 

「食べますか?」

 

「いいの?」

 

賢明なる読者のみなさんは、

こういう盛り上がりを僕が好きでやっているのでは…と誤解していませんね。
別段、気にならないって程度なんです。僕の場合。

 

「うまいねえ~」

 

「ありがとうございます」

 

「んで、どこの生まれ?……しずおかねえ~…母の日に…

ふーん 親孝行だねえ」

 

「ぜんぜんです。親不孝を絵に描いて、ハサミで切り取って、張り合わせて、
空気入れて膨らましたような人間です」

 

「なんじゃいそりゃ ヘンなこというねえ」

 

賢明なる読者のみなさんは、オマエ、もうすでに楽しんでいるだろう、
と誤解しているようですが、
確かに、このあたりは少し楽しんでます。

 

「あんちゃん嫁さんは?」

 

「いえ、残念ながら おじさん、お子さんは…?」

 

「いるよ。いま中国で働いてる、あの…ほれ小さい島のほう」

 

「台湾ですか」

 

「そうそう」

 

「遊びには?」

 

「いかねえ………めんどうだもん」

 

ここは、少し考えて…答えた感じのおっさん。
台湾近いですよ…とか振ってみたが、反応は鈍い。少し、中国の話しをする。


「おれ、最近、胸が痛くてさ、腰もなあ~こう重い感じで、手も痺れるんだよなあ~。
あんちゃん、健康そうでいいなあ」

 

「そうですか。そう見えますか。」

 

「癌とか言われたらどうしよう?」

 

「心配ですか?」

 

「こわいねえ~癌なんて言われたら、死んじゃうよオレ。
あんちゃんも、今は元気だからいいけど、そのうちこわくなるよ」

 

「そいういうもんですか?」

 

「そういうもんだよ。だんだん歳をとると、こわくなる」

 

病気の話に付き合うのは、慣れている。どうということもない。

 

「藤沢過ぎましたね」

 

「あんちゃんどこで降りるの?」

 

「戸塚です」

 

「うほっうほっ…同じじゃん…んじゃあさ…どこかでいっぱい行くか?」

 

「まだ…昼ですよ」

 

「昼からがいいんじゃないの」

 

…このあと、戸塚で降りたおっさんと僕…さてどうしたのか?

 

それはまたのお話し。

◆◆◆

今年も、少しすると「ツール・ド・フランス」がはじまります。

 

僕にはサッカーW杯より楽しみです。

 

近藤史恵さんの新作「エデン」(新潮社)…かなり面白いです。

 

複雑で奥深いサイクルロードレースの世界がよくわかりますし、
主人公の“男”に胸を打たれます。

 

決して、長くない小説です。前作の「サクリファイス」と併せ、
ぜひ読んでみてください。
きっと、観たくなりますツール。

 

帰省の折、母から「1Q84…って小説、話題らしいけど読んでみたい」
と言われたので、うーん…と思いながらも、贈ることにする。

 

昭和ひとけた生まれの母は、チャレンジャーだ(笑)

 

さあ、みなさん。もうすぐ母の日。
お忘れなく。

女性の井戸端会議が「世界の嘘を解き明かす」という話し…ではない

投稿日時:2009/11/02(月) 21:35

川上弘美の新作「これでよろしくて?」を
柴門ふみが評していた。



◆男たちが不況だ 政変だ 世界の石川遼だ
と騒いでいる一方、
世界の半分を構成する女性は、
〈日々は些事からのみ、できあがっている〉ことを知り、
目に見える数字や、耳にする言葉以外のことの方が
重要であることがわかっているのだ。

 人は「頑張れ」より「それでいいんだ」を求めている。◆

こういうモノの伝え方は…
分かっていても出来ないなぁと思った。

そもそも読みたいと思っていた小説だったので、
彼女の評論そのものでその気分が変わったわけではなく、
どこにでもいそうな主婦の
井戸端会議ストーリィの意味することを、
端的に本質をつくコメントにしてしまう
柴門さんの表現の力に感心してしまいました。

言われてみれば当たり前で…そんなことは分かってるさ…
と言う話しも、伝え方次第で…
なるほど…と改めて感じさせる力に変わる。

25年勤め、今年の春に役員に昇進したばかりの友人から、
会社辞めるわ…と連絡が来た。
叩き上げと外様とが…まことにもって意味のない闘いを
日々繰り広げる経営ボードを目の当たりにして…
不毛地帯だわ…と愚痴ってはいたが…
もともと先代の会長の人柄に惹かれ、
不採算部門を立て直しに躍起になっていた時代を知っていたので…
これはまたどうして?…
と尋ねずにはいられなかった。

「この前さ…久しぶりにマトリックス観たんだわ…
 でさ…あの黒人の船長がキアヌに言うのさ…
 分かっていることとやるってことは全然違う…って」



「…?…で?」

「役員になって風景変わったんだよね…
 やっぱり 経営が身近になって…
 会社や事業を上や外から見る感覚が生まれた。
 …でウチの会社の社長って、こんなんなんだって…
 想像ついたんだよね」

「…でも やってみなけりやわからないってことなら…」

「そうなんだけど…社長にはなってみなけりゃわからないから…
 なろうと思ったんだけど…
 どうせなら出来上がった今の会社の上に立つんじゃなくて…
 新しく自分で始めようかと」

「マトリックス観て…?」

「マトリックス観て(笑)」

会社を辞めようが、起こそうが、どこにでもある話しではあるので…
特段のことはないが…きっかけがマトリックスというのは…
なんだか面白い。

そもそも…マトリックスにそんなシーンがあったのかも思い出せないし…
あったとしても…ボクの鈍さでは人生訓などとは思わないし…
いわんや、マトリックス観て人生の決断はしないだろう。

後日…

「オマエさぁ…退職して会社作るってことさぁ
 ほんとは前から決めてたんだろ。
 マトリックス観てって…相手がオレだから考えた…後付けだろ?」

「…いやいや…悩んではいたんだけど…ほんと、
 何も決めてなくてさ…DVDがあったからなんとなく観ててさ…
 で…あのシーンでハッ!と思ったんだよ…マジです」

今いる現実の世界は…まったくの嘘で…
その支配からいっしょに抜け出す為に、ともに闘おう…
と誘われるシチュエーションを、彼の今の立場と考え合わせてみる…

なんて陳腐なことはしませんが…
「言うとやるとじゃ大違い」

 使い古された言い回しですが…
マトリックスじゃなければ彼の人生を変えなかった…
ってとこが妙に可笑しかった



歯にもの着せぬ

投稿日時:2009/10/05(月) 11:14

お店をしていた頃の話。
来店されたのは、あるリクルート時代の先輩の女性。

といっても在職中、ボクと彼女に仕事上の接点はなく、
遡ること1年前くらいに、ボクがお店を始めほどなくして
別の知り合いといらして頂き、以来、何を気に入ってくれたのか、
時折、顔を見せてくれるようになった。

といっても、来店は遅い時間、もうそろそろ〆ようかという頃に、
「…いまから2人だけど、いいですか?」
と電話をいただく。
 
広報などの責任者をされていた関係で、
人脈も広く、仕事柄知り合われた、
社外の方を連れられて見えられるのが常だった。
 
来ると必ずカウンターに座る。
ほかにお客さんがいないときなどは、
片付けなどしながら、会話に混ぜて頂いた。
 
歯に衣着せぬ…とはよく言うが、彼女の場合それが、
押し付けがましくなく、聞いているこちらも思わず釣り込まれてしまう、
そんなお客様というのは、ご来店されるとうれしいものでした。

ある晩、話していると、あるリクルートの人間の話しになった。
ボクがよく知っている方で、歳は下だが尊敬していた方なので、
おもわず
 
「…僕が知る中では リクルート10傑に入る男性ですね…」
というと 彼女の顔が一瞬変り、刹那に
 
「女性はいないの?」
 
と切り返された。
…女性に10傑に値する人はいないのか?
…という意味ではなく、

あなたには“女性10傑”というランキングはないのか?
…という意味の質問であります。
 
といっても、挑むような感じではなく、
ごく自然に…
そう たしなめられた感じで…
 
あっ!? と言葉につまる… 
そう言ってしまった以上 適当にごまかすこともできず、
 
「改めて思い直せば います。
 でも、普段は意識していないかもしれません」
 
と答えた。
 
その改めて思い出す女性とは 誰か?
…などと無粋なことを聞かないのが
この方の素敵なところで、
その話しはそれで終わったのだが、
ボクの中ではその不用意な発言のことがずっと気になっている。
 
何かを決め付けるときは 責任がいる
 
それがこちらが些細なことと気にしないでも 
相手には違って聞こえることはよくあるが、
そういうものは生きるマナーに属し、
身につけているにこしたことはない。
 
マナーがなっていないと
たしなめられたのだ。 

反省した。
 
店を離れて3年になるが 
彼女とカウンター越しに話せないと思うと寂しいし、
もし、リクルート女性10傑をあげるなら
彼女はその中に紛れもなく入る。

もちろん入れられても、
彼女には露のほどにも
どうでもよいことなのでしょうが。
 
 
◆◆◆
 
女流作家の台頭がすさまじい。
 
山田詠美 林真理子 よしもとばなな 
らが確立した 女性ならではの繊細な目線は
どんどん進化をしている
 
途中…
宮部みゆき や 高村薫 が登場し、
 
単なるミステリーが、広義のエンターテイメント~
文学作品にしてしまう一連の流れの立役者を牽引したことは
エッセンスとなり 女性の柔らかな視線は 
鋭利なものを生み出してきた気がする。
 
恩田陸 森絵都 佐藤多佳子 瀬尾まいこさんらが持つ路線
男では現しきれない 優しさは 相変わらずなのでありますが、
 
それとは別 …たとえば芥川賞を獲った 川上未映子 
この 歯に衣着せぬ 感じはなんなのだろう…
オロオロとしてしまった。
 
そこまで言わない…いわないでわかってください…
というのが男の弱さですから、(時に美徳などと表す)
 
たぶんほとんどの男は 弱虫であるから とくに 
こういう小説を前にすると どうしてよいのかわからない。
 
直木賞を受賞した、桜庭一樹さんの「私の男」にはそれほどの 
怖さを感じなかったのは、ボクが前作の「赤朽葉家の伝説」が
とても好きで、あの小説を書く人は、信じられるというか 
怖くないんだ…と情けなくも言い訳して読んだからでしょう。
 
女流作家の台頭に、どんな変化があったのか…
こんなことを感じたのは、
今年、「告白」 湊かえで が 
本屋大賞を受賞してからで、… 

ちょっとおかしいのではないか?
と思ってしまったのがその理由です。
 
するどいのは素晴らしいことですが 
その切っ先の向きようがヘンなのではないのか?
 
衣を着せずに言えば、「この本はなし!」であります。
 
こういう小説が世に出回り、新しいチャレンジなどと 
その表現技法も併せ 論じるのはよしとしても、
本屋さんの賞は、全国の書店員さんが
 「ぜひ読んで欲しい」という年間の最高峰なわけで、
この本の持つ救いのなさを…
ほんとうに読んで欲しいと感じているのか? 
ボクには分からない。
 
だから 昨今の女流作家さんの本を 
今年、テーマを持って、暇さえあれば読んでみたのですが。
そこで、感じた収穫は…
 

 女性の目線や表現力は 男のそれを はるかにしのぐ
 
と改めて感じたことです。
 
そして、その目線や表現力を感じさせてくれる 
素晴らしい作品は どんどん生み出されている
とわかり安心したのです。
 
すべての小説に目を通したわけでもなく 
ここでもんやの女流作家作品ランキングをあげつらうのも
センスがないので、
 
ここまで読んでの 
ナンバーワン作家と代表作2作を紹介します
 
 
 「8日目の蝉」 「対岸の彼女」 :角田光代
 
両作品とも 有名な作品ですから ご存知の方も多いとおもいます。
でも、男性は意外と未読なのでは…。
ぜひ読んで見てください。
というか 読まなきゃ ダメです(笑) 
 
読むといいことが必ずあります。
そういう小説です。






壮年諸氏に向けて 

投稿日時:2009/04/20(月) 09:53

「草原の椅子」
 毎日新聞社・幻玄社文庫・新潮文庫
 


この本は四十歳過ぎた壮年の男性には
ぜひお読みいただきたい小説です。
 
宮本輝さんの小説との初めての出会いは
「青が散る」
テレビドラマ化されたこともあり、興味を持ち、
読んだのがきっかけでした。

郊外に新設された、3流大学での青春群像劇。
ドラマでは、まだ、若かりし佐藤浩一や石黒賢、
遠藤憲一、川上麻衣子などが…校舎の裏手の空き地を
整備して、テニス部を作ってゆくという話しで、
毎回、欠かさず見ていていました。
 
当時、僕自身も大学に入学したてだったこと、と、
テニスは中学から続けていたので、
そんな親近感もあったのでしょうが、
ともに、ドラマ初出演である、石黒賢と二谷友里恵の主人公二人が、
その演技のあまりのひどさにも関わらず、
妙に芯に残る演出が印象的であり、
そこにひきつけられたように思います。
 
また、ドラマの終わりが、期待している終わり方ではなく、
そこに物足りなさを覚え、これは小説を読めば、答えが分かるかも…
という気持ちも強かったです。
 
結果的には、小説を読んだ後に、格別新たな発見はなく、
「ああ、こういう原作が、ああいうドラマだったんだなあ」
というだけのものでした。

その次に 「優駿」…
これも映画がきっかけで読んだのですが、
映像が、それはそれでうまく出来ていたので、
エンタテイメントとして満足してしまい。
小説も素晴らしいのですが、印象としては
「映画の優駿」として記憶に残りました。
 
そもそもの代表作の「泥の河」も、
映画にいたく感動したせいか、遡っての原作は未読です。


「道頓堀川」はそれなりの映画でしたが…
あえての深く探ろうとも思わず、
原作者は知っていましたが、
改めて読み直すことは、しなかったです。
 
そういう意味では、まだこのあたりは宮本輝の作品が好きだ…
という思いはまったくなかったです。
 
「ここに地終わり 海始まる」 講談社
を読んで、ああ…いつかポルトガルに行きたいなあ…
などと感じたのが、30歳過ぎ…
 
物語のはじまりともなっている、
ヨーロッパの西の端の「ロカ岬」に立ち、
小説のタイトルと同じ、ルイスデ・カモン・イスの
叙事詩の一節が記された、石碑を見て、


ああ、あの本のイメージはここがスタートなんだなあ…
と実感もしたのですが、
まだ、宮本輝さんを追いかけてみようは思ってはいません。
 
彼の作品は「生きるヒント」に満ちているとよく言われます。
 
人生の再出発をテーマにしているものが多いせいでしょうが、
そもそも僕自身の20歳~30歳は、
「生きるヒント」を欲していませんでしたから、
ここまで読んでも、心にシンクロしていなかったように感じます。
もう少しいえば、「その説教はうるさい」という感じですか…。
 
「草原の椅子」が1999年、朝日新聞で連載が始まりました。
購読していたせいもあり、たまに連載を読んでもいたのですが、
その頃の自分には、まったく響かず、書籍化されてから、
読み直そうという気持ちも皆無でした。
 
40歳を過ぎ離婚と退職を経験した後、
少し放浪しようと思い立ち、ひとりアジアに出かけました。
旅の中盤、インドを巡る最中です。
 
ムンバイかコルカタか…はっきり覚えていませんが、
安宿をねぐらと決めて、何日かあたりをさまよっていたら、
街角に「古本屋」を見つけました。
 
この手の本屋さんは 旅人が捨てた本、
もしくはいくばくかの代金で置いていく、さまざまな本で
成り立つ商売です。 そのほとんどはいわゆる
「ペーパーブック」の類。
 
バックパッカーが暇つぶしに、故郷もしくは旅先で買った、
安手の紙でできた軽い(重量がという意味です)
小説を、読み終わり…荷物になると、捨てる代わりにおいてゆく、
そういう本で溢れています。
 
日本の本は、ほとんどありません。

これは、そもそも日本人が 小説を携えて世界を回ることを
しない文化というわけではなく、
買った小説がそれなりの値段で、
装丁もちゃんとしていて、…お気軽に捨てて行く…
そういう本ではないからなのでしょう。
 
案の定、その古本屋も英語やドイツ語で書かれた
ペーパーブックで溢れていました。
 
それでも、「ジャパニーズ?」と店主に聞くと、
暗い店内の 奥の一角を指差します。
 
本棚の片隅に30冊程度、
日本語で書かれた本が置かれた…
はさまっていました。
 
異国の街角の本屋に置いていかれた日本の小説…
誰がいつ、なぜこの本を買い、どうしてここにあるのか…
このままこの本たちは、ここで朽ち果ててゆくのだろう
という妙な感傷…そう思うと、
なんか可笑しくもあり、また、僕がちゃんと選んで、
この本の宿命(読まれるために存在するという)を
受け入れようというへんな使命感も感じるから不思議です。
 
30冊の本は…そのジャンルもバラバラで…
詳しくは覚えていませんが、司馬遼太郎や松本清張や太宰治なんて
感じであったように記憶しています。
 
旅が暇なタイミングであったことや、
日本が恋しいタイミングであったこと、
そのせいで何冊か買い求めました。
 
その1冊が「草原の椅子」の“上巻”でした。
上でなければ 買わなかったと思います。
 
当たり前ですが、中には、「地の指」
松本清張 角川文庫 下巻 などがあり、
こちらの小説は、ぜひ読みたい本であったのですが、
下巻ではなあ~と、これがカドカワノベルス初版であればなあ…
とまことに残念でした。


 
上下本の場合、下巻をおいて置かれても…
ああこの本の運命はここまであったか…です。
 
まあ、そんな出会いで 「草原の椅子」を読んだのですが、
これが、素晴らしく心に届いてくる。
 
異国にひとりという環境を差し引いても、
びんびん来るのです。
 
たった、7,8年しか違わないのに、
30歳半ばでは、まったく共感できなかった
この小説の「生きるヒント」は、
すんなりと気持ちよく心に落ちてきました。
 
50歳を前にした、ひとりのサラリーマンがその歳になり、
ひとりの親友を得て、さまざまな人物に出会い、
あるべき姿を体感してゆくという話しです。

出会いそのものも、5歳の虐待を受けた少年がいたり、
妻と別れて新たな道を進もうとする中年親父がいたり、
心が弱く自分を律せない少女がいたり、
ひとりで陶器店を経営する妙齢の女性がいたり、…とさまざまで、
それがふたりの日常に関わり、
起る出来事にそって描かれています。
 
宮本輝はこの小説を書き始める 直前…
「阪神淡路大震災」を、そのど真ん中で体験し、
「人間の幸福にとってさして重要でないものを、極端にいえば、
かえって不必要なものを多く背負い込み、
購買し消費してきた~それがただの数十秒で、膨大なゴミと化した…
ただ呆気にとられている~人間の幸福とはなんなんだろう?」
と感じたらしい。

そしていつまでも呆気にとらわれていても仕方ない中で、
言葉を紡ぎ、吐き出した…
それがこの小説らしいのです。
 
だから、物語の随所に、当時の日本を覆いつくす空気…
価値観や風潮…その中にある「心根の貧しさ」を
主人公の言葉を借りて、読者に訴えている…
その訴えが30歳半ばの“僕”には、「うるさい」と 感じ、
40歳を過ぎた“僕”は、気持ちがよいと感じだようです。
 
それは、僕がそうであったというだけで、
壮年期の男性がどう感じるかはわかりません。
 
昔の同級生と新橋の街角で、たまたま出会い、
そのままなんとなく、立ち飲み屋で呑んで、今の近況など
本音で話しているうちに「じゃあ もう一軒行くか」 
と盛り上がる…
 
まあ、僕なりのイメージで宣伝するなら…そんな本です。

「旅する力」に思うこと…

投稿日時:2009/02/06(金) 03:10

僕は、映画はひとりで観るのが好きです。
その映画の全部と自分が、上映時間中、
相対している感じがするから…

でも、たまに、この映画はこんな奴と観たら楽しいだろうなあ…
とか思う時があって、そういう時には、一緒に行きたくなり、
誘ってみたりするのですが、大概が突然で、
向こうの都合が会わなかったりで、
結局はひとりで観る事になったりするのですが、
それでも、うまいこと都合を合せてくれたりで、
一緒に見た後の、話しはとても楽しい。
 
もともと、相手の趣味も分かっているから
当たり前なのですが、その後、酒を飲みながら、
ああだこうだ言い合えるというのは、幸せな時間です。
 
これが、なんとなくのデートとかで、映画をチョイスしてしまった
場合になると、なかなかそうもいかない。
 
もう、遥か昔になりますが、渋谷のパンテオンで
「となりのトトロ」と「火垂るの墓」の同時上映に、
その当時の彼女のリクエストで観にいったことを思い出しました。
 
すでに宮崎アニメは全盛で、映画館は満員御礼… 
トトロの住みかへ続く道…あったなあ~うちの田舎にも…
なんて思っているうちはよかったのですが、
火垂の墓が始まると、その彼女は泣きっぱなしで、
しかもその泣き方が…嗚咽ではなく、号泣なのです。
がまんできない琴線に触れっぱなしらしく、
もう人の目なんか気にせず、食い入るように
画面をみつめ、…兄弟が家を出てふたり暮らし始めてからは…
もう、大変。
 
僕は、野坂さんの原作を読んでいたので、
だいたいの筋は知っていたこともあり、
スクリーンはもうそっちのけです。
 
回りの方に頭をさげながら、
彼女の背中をさすり続け…
とうとう最後まで…
 
終わって、場内が明るくなっても、恥ずかしいやら、
びっくりやらで、彼女も泣き止まず席をたてず、
とうとう次の「トトロ」が始まってしまいました。
 
彼女が、席を立てるまで、まあこうなったら待とう…
と腹を括りましたが、…まずい…
このまま、サツキとメイがお母さんの病室にお見舞いに行く
シーンまで画面が進むと、また涙腺に火がつくのではないか…
などと心配になり…
少し収まった彼女を強引に促し、外に出たのでした。
 
 
大林宣彦の「ふたり」をK君と観たのは、その後のこと、
3部作以来、K君とはことあるごとに、大林映画を観てきたので
「ふたり」を一緒に観たのは必然の流れで、
観終わり…どちらともなく
「これは尾道に行くしかない」となり、
2泊3日で、ロケ地を二人で巡りました。 
 
まあ、そこまで、盛り上がらなくても、
“同好の士” というのは、貴重なもので、
観終わって酒を交わしているだけで、
豊かな時間だなあ…と思うわけです。
 
 
「旅する力」 著:沢木耕太郎 新潮社
 


この本などは、読み終わり、気持ちを同じくする輩と、
酒を飲むには、最高のつまみです。
 
心から感じ入る台詞が随所にあり、
久しぶりにバイブル「深夜特急」を読み返し、
ビデオを見直すか…と言う気分にさせてくれ、
ひいては、旅支度を始めたくなる…
僕にとってはそんな刺激のある危険な本です。
 
ご存じない方に、「旅の力」は、小説ではなく、
エッセイを加筆修正して、書き下ろしたものです。
 
内容は、沢木さん自信の回顧録でもあり、
「なぜ文筆業を志したのか」
「深夜特急はどうして書くことになったのか」
「旅を通じて彼が得たものは」
「旅と作家…これに影響を与えた、作品や先達」…など、
いわば沢木耕太郎の原点のお話し。
 
◆◆
 
前略…
やはり旅にはその旅にふさわしい年齢があるのだという気がする。
<中略>
「ちゃんとした人生」とはなんだろう、
ということはあるような気がする。
名の知れた会社に入り、きちんと結婚して、何人かの子供をもうける。
もちろんそういう人生もすばらしとは思う。
しかし、旅などというのはそういう人生をきちんと送ってから、
つまり定年退職でしてからゆっくりすればいいという意見には、
ハイその通りとはうなずけないところがある。
~後略
 
◆◆
 
このフレーズが、この本のコンセプトというか、
沢木さんが一番言いたいことではないのかと思う。
 
誤解されては、この本に申し訳ないので付け足すと、
この本は「なんでも旅にでなさい」という本ではありません。
動き出せないまま、今に流されていることを
揶揄したりしている訳でも、
こんな時代に一生懸命に今を歩んでいる多くの人に
警鐘を鳴らしている訳でもありません。
 
「動き出す」ことには力が必要で、
その力を得て、いったん動き出せば…
新しい世界が自分を変えてくれる。
ただ、そういうものにはルールがあって、
そのルールは自分が決めるんですよ。
 
という本です。
 
ただ、沢木さんご自身が
「オレは幸運で、豊かで、楽しい」ということを言いたいが為に、
回顧してみると、そこに旅があったという話しでもあります(笑)
 
 
この本には、さまざまな、国や都市やそこでの生活はもちろん、
作家や作品、映画の台詞やシーン…そして名言が出てくる、
のですが、僕は、そのほとんどを沢木さんが触れた…
“10年から15年に”触れています。
 
もちろん、触れ方はぜんぜん違いますが、
少なくとも「行って、見て、食べて、話して、読んで、触れて」
いたりすることが少なからずありました。
 
にも関わらず、沢木さんが影響を受け、
ご自身のそれからの人生を成長させてくれたことに較べると、
僕にはその影響が微塵もないのは…
ああ、なんというか、これは感受性という才能の違いなのでしょう。
 
「深夜特急」の発売後、
 「沢木さんはひどい。
私の恋人はあれを読んで旅に出ちゃったんですよ」
といわれ、そうこうして、人気に火がつくと…
 「26歳になったので、会社を辞めて日本を出ることにした」
という人が現われるようになったといいます。
(深夜特急の主人公が26歳だったから)
 
 
前述の旅の適齢期に通じる話でありますが、
沢木さんはこの適齢期を「食べる」ことに通じると紐解きます。
 
若いということは、あまり物事を知らず、
知らないが故に、うまいものはたくさんあり、素直に感動する。
それが、年代を重ね、なんでも食べるようになると、
若い頃に感じた感動は、薄れてゆく。
 
では、旅に戻して 
「幼ければ幼いだけ 旅をするのにはよいのか」
というとそうではない。
極めて、逆説的ではあるが、未経験者がある経験をして、
そこに感動するには、ある程度の経験が必要なのだ。
 
僕は思った。
 
どこでも、何をしてもそこに発見があり、
それを楽しもうというゆとりがあれば、
人は素直に感動する。
 
別に、構えて長期の休みを取り、
たったひとりで ユーラシア大陸に出かけなくとも、
週末に、最寄の駅から電車で、
知らない町に日帰りで行く…それくらいの勇気さえあれば。
 
ただし、ひとりで。 
どうしても、寂しい場合の道連れの場合は、
同好の士…と。
 

「旅する力」 読みました… 話してえ~ という方 
連絡ください(笑)
小汚い焼き鳥屋でいっぱいやりましょう。
 
もうひとつ、「アジアのハッピーな歩き方」 
堀田あきお&かよ キョーハン・ブックス
こちらは、漫画です。
夫婦で旅する愉快でゆるい漫画…
お気に入りです… アジア系の同好の士にはお勧めです。



◆来週、「ペプチドワクチン」を民間で実施されている 
クリニックに行ってまいります。
どうなるかは未定ですがまた報告させていただきます。 
 

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