紋谷のソコヂカラ

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わたしの正月を返していただきたい![紋谷のソコヂカラ]

投稿日時:2010/01/19(火) 22:15

幸いにして言われたことはまだないが、
「あなたって、ケツの穴の小さい男だわねえ」
これは、かなり凹む言葉だと思う。

そう言われると、返す言葉がないではないか。

「まてまて、俺のケツの穴は相当にデカイぞ」
というのもおかしい。

というか、すでに嬉しくもない。

むしろ、失礼だ。

これが、“肝っ玉”なんかであるなら、
成立するはずの反対の意味の言葉が、
見当たらない。

鼻の下なんかもそうだ、
長いという侮蔑表現はあっても、
その逆のほめ言葉が存在しない。

頭が固いは…ある。 

金のタマについては、どうか?

「ついとるんかい!?」

確認しているようにみせかけての侮蔑表現だ。

でも。これは「ついとるわい」「みせたろか」
などで、対抗すればよろしであり、なんてことはない。

やはり「ケツの穴攻撃」には敵わない。

◆◆◆

…痔になった。

産まれてはじめて痔になった。

少し大きな声で言ってみよう…

“ち”に点々の“ぢ”になった。

前回に引き続き、しかも新年早々、なんてことか、
なるほうもなるほうだが、
聞かされるほうも聞かされるほうである。
わかる。…忍びない。

新年早々、申し訳ないと思う。
しかし、これも抗がん剤の副作用の先に来たもので、
わたしには、報告する義務がある。

7日に退院した、もうその頃から、兆候は見られた。

消化器系に大きな副作用が出るという、
いまの抗がん剤…僕の場合は、
それほどでもなかった。

多少の下痢症状はあっても、
過去、あれほどの胃痛にはならなかった。

症状が治まり、
ほっとして帰宅したのもつかの間、
どうもおかしい。

絶食が続いていたせいで、
食べ物を口にしていないから、
モヨオサナイと思っていたが、
1日、2日、人並みの食生活に戻しても、
…気配すらない。

もともと、快便快食のわたしには…ありえない。

そのうち、辛くなってきた。腸のあたりが重い…
というより、もっと肛門近辺に、
頑強な奴らが陣取っている
…そういう感覚である。

こういう時のために、医者からは
「頑強な兵士の抵抗を和らげる」
…奴らを柔らかくする錠剤をもらっていた。

朝晩と飲むも、兵士は頑強である。
翌日も、そのまた翌日も同様。

維持でも、この橋頭保は死守するぞ!
という意気込みが、下のほうからムズムズと伝わってくる。

これは、こちらも作戦を変えねば…と 
近くに出来たドラッグストアに駆け込む。

症状を話すと…
「兵士の気持ちを和ませる、更に強力なクスリ」
を勧められた。



加えて、腸の働きを活性化するクスリ、
そう、つまり更に後方から、
「前進せよ!」と追い立てる作戦だ。

飲む…飲む …効かない。 

自宅の前の公園を少し走り ストレッチをし  セロリを食う

…が効果はない。

また、2日経過…これはまずい…と
再度、ドラッグストアに行く。

こうなれば あの 有名な 天下の大将軍 
泣く子も黙る「いちじく浣腸」
に登場いただくしかない。

ドラッグストアに向かう。

買うのも初めて 自分で入れるのもはじめて… 
怖い …しかし、
そんなことは言っていられない。

…ここからは少しの間は、リアル表現は控える…

さすが大将軍であります。
結果は、「オオオ~!!」と雄たけびを上げた、



兵士の群れが、一段となって飛び出してきた。

なんという爽快感…。

しかし、どうも本調子ではないので、
引き続き2、3日、大将軍のお世話になることになった。

問題は、ここからである。

やはり、大将軍の有無を言わせぬ進撃命令は、
組織に遺恨を残したようだ。

上の者の、無謀な業務命令…いつの世もそうだ、
そんなものは一時的な解決でしかなく、
どこかに禍根を残す…。

その禍根は…肛門回りに炎症を起こすという事態を引き起こした。

その炎症は、(見ていないので正確には分からないが)
…時間が経つごとにどんどんとひどくなった。

寝転んでも痛い 起き上がれない 歩くと死ぬ 
…とにかく、からだの向きを変える度に激痛が走るのである。

また大げさな…と思われる方もいるでしょうが、本当なのです。

寝ていても、まだ本調子でない腸の影響で肛門が伸縮する…
そのたびに、気絶するほどの激痛が走るのです。

おちおち寝てもいられない。

1日経ち 2日経ち
…収まるどころかひどくなる。

このままではいけない、
意を決して、三度、ドラッグストアに向かう。

歩いてはいけないので、
ゲンチャリに座布団を引き、
お尻をあげた状態で、そろりそろりと始動する。

ずっと、立ったままでは危ないので、腰を下ろす。

普段なら気にならない、
わずかな段差の衝撃が 
ダイレクトに響く…「いてえええ!!」

なんとかたどり着いたドラッグストアで、
「ボラギノール」を買う。 
自分には無縁と眺めていたコマーシャルの映像が蘇る。

帰り、風呂に入り、…患部に塗る。
併せて購入した綿棒を恐る恐る当てて塗る…
相当に腫れあがっているような感じだ。

もう。どこが肛門で、どこが足の付け根なのかもわからない。 

この時点での問題は、すっかり、従順になり、
順番通りに、送り出されようと待っている兵士の気配が、
ムズムズしているということだ。

「待て!!」「そこで待て!!」「なにもするな!」
と全身全霊で頼み込む。 

いま、ここで出てこられては、僕は死んでしまう。
とにかく とにかく静かに静かにしていてくれ。

…2日が過ぎた… 激痛は収まらない 

僕は悟った…尻の穴は、なにか体を動かそうとする…
その運動行動のメカニズムの原点にあるということを。

椅子から立ち上がる、前かがみになって何かを拾う、
寝返りを打つ、
…くしゃみや咳をするその刹那も、肛門は運動機能の源になっている。

つまり、肛門なくしては、
人間の動作は始まらず、力も入らないのである。

なんと偉大なる尻の穴!! 

そういうこととは、関係なく、
月曜日に病院に行こうと決めた。

週末の土曜日いつにもまして、痛い。
もう塗り薬を塗ることも耐えられない感じ、
それでも塗る、泣きながら塗る。

この日も朝まで寝られない、外が明るくなるまで唸っていたが…
いったん風呂に入り…少し痛みが引いた後、眠りに落ちた。

時間にして5時間ほどか、日曜日の昼ごろに目覚める。

…ん?……んん? 

痛みがない …??

体が、痛さに怖がっている…が、
恐る恐るパンツの上から触ってみるが…?
…痛くない。

??…パンツの後ろがぐっしょりと濡れている…??
…うん!?…まさか…漏らしたのか?

…臭いを嗅いでみるも、無臭… 
患部を直接触ってみる

…腫れが…ない?!

そういうことか。 

腫れあがっていた患部の疱瘡が、ヤブけたのだ。

それによって、炎症も収まり、痛みも引いたのである。

それでも、万全を期して ボラギノールを塗っている。

こうして、わたしの年末からの戦いの続編…
第2幕は終了した。

今は、快方に向かっている。

ここまで、お付き合いいただき誠にありがとうございます。

どうしてもというなら、ひとりづつ、質問に応えますが、
…ええ…関連する質問は、まとめてお応えしますので、どうぞ。

あっ…くれぐれも指されてから
…質問に…ええ、
マナーですから。

「それはほんとうに“ぢ”だったのですか?」

…うーん今となっては謎であります。

「われわれは、あなたの命に関わる心配しているのであって、
 そんなシモの話はどうでもいい!」
…ごもっともでございます。

「そんなことならワタシは20年来の便秘持ちよ」

…はあ、それはお気の毒さまです。

「新年、早々、こんな話を…失礼ではないか、国民にあやまれ」
…わたくしも被害者なんです。説明責任を果たしたまでで。

「幹事長を辞任すべきなのでは?」
…国民の生活を豊かにする、その責務が先と認識し、
苦渋の決断ながら続投を総理に…


こんな僕ですが…幸いなことに、
「ケツの穴の小さい男」と言われたことは

…いまだかつてまだ…ない。


寝正月[紋谷のソコヂカラ]

投稿日時:2010/01/09(土) 00:50

抗がん剤の投薬を終えて1週間後、暮も押し迫った28日、
血液のダメージをチェックしに、再度病院へ向かった。

白血球、赤血球、血小板ともに、危険水域には達しておらず、
念のため白血球をあげる皮下注射を打ち、
年明けの診断まで安静にとなった。 

この時点での体の感じとしては、
慢性のだるさと突発的な帯状疱疹はいつものこととして、
胃がどうもシクシクと痛んでいた。

このシクシクが、その日の夜から激変してゆく。

遡るが、今回の投薬中、一番悩まされたのはこの痛みでした。 
点滴が抗がん剤に変わって少しすると、
胃が痙攣を起したように痛み、5時間ほど続いた。
急遽、痛み止めを合せて投与され、
なんとか収まったものの、いつにない症状のため戸惑った。

それでも、退院して1週間は、何事もなく、
消化器官へのダメージは、入れている薬の主な副作用
(2種類の薬、併せて30くらいある)ではあるため、
たまたまのことだろうと僕も主治医も考えていた。

しかし、この痛みそんなことでは収まらなかったのです。

28日の夜、シクシクは、ジクジクとなり、
グワッグワッとなり、ギョワー!ギョワー!!…へとなる。

うまいたとえがないが、…口からペンチを突っ込まれ、
胃をつかまれねじあげる 
そんな痛みが10分に1度 
1分くらい続く、まあそんな感じ。

明けて29日も朝からこの痛みは治まらない。 
ほとんど寝て過ごす。 
それでも頭では、抗がん剤の副作用なんだから、
我慢していればそのうちに収まるだろうと、
28日に念のため処方してもらった
胃の薬を飲んで我慢していた。

しかし、30日、31日となっても 
ペンチの威力はいっこうに衰えない。

これは、まずいと癌センターに電話を入れる。 
病院はすでにお休み、それでも当直の医者がいるらしく
電話口での問診となる。

「…そうですか、症状はわかりました。
  僕も専門ではないのでなんとも言えませんが、
  いま処方されている胃の薬は、相当に強い薬です。
  それで、効かないとなるとこちらに来て、
  点滴したとしてもそれほどの違いはないかもしれませんよ、
  また、外来での治療は無理なので
  入院してもらうことになりますが…」

とまあ、藁にも…の連絡した気持ちを萎えさせる返答。

いったん切る。

このまま家でのたうちまわっていてもなあ…、
しかし年越しを病院というのは、なんとも忍びない、
しかしこのままでは…とそこに、
岩田さんから電話をいただく、僕がのたうちまわっているのを
違う人間に伝えてあったのだが、その話を聞き、
心配で電話をかけてきてくれたのだ。

「…だいじょうぶですか?…病院行くなら送りますよ」
開口いちばん、そう言ってくれる。
…それで、腹は決まった。
小さめのバッグにパンツを3枚放り込み、
戸締りと愛犬の手配を済ませて、
岩田さんの運転で大みそかの病院に向かった。

電話で対応してくれた医者の簡単な診察ののちに、
いつもの病棟へ入院した。

大みそかの病院は静かです。
長期の入院患者も年越しは家族と過ごしたい。
体調が許された患者は、外泊届を出して自宅に帰るため、
重症の患者以外はいない。

静まり返る病院で、まったく静まらないおなかを抱えて、
ひとり グワァグワァ!と唸ってると、
ほどなく、痛み止めの点滴が始まる。

1本、2本と続けて投与するも、まったく、さっぱり収まらない。
眠ることもできず、新年を迎えた。

元旦から2日のことは、じつはほとんど覚えていない。
胃の激痛に加えて、熱があがり、意識が混濁していたようだ。

朝一で採血も行われ、白血球が700しかないことが判明、
…急遽、一人部屋へと隔離された。

この部屋には、巨大な医療用の空気清浄機が備わっていて、
完全な無菌室ではないものの、抵抗力がなくなった患者の
院内感染を防ぐための部屋だ。

病院側としての優先度は、この時点で、胃痛の処置ではなく、
白血球をあげることにスイッチされた。

通常、この時期、白血球をあげる注射は、
1日1本 2,3日空けて、また注射…という程度なのだが
(実際、入院していなければ、次の注射は2日の予定でした)
この時点から朝晩2回、毎日、打つこととなった。

2日になっても、胃の痛みは変わらない。
熱も下がるどころか、39.5まで上がる。
後で聞いたが、白血球もぜんぜん上がらないらしい。

口の中もひどいことになっていた。 
歯茎がぜんぶ腫れてパンパンになり、
口内炎ができまくり、挙句に歯がそこかしこでギシギシと痛む。

手足のしびれもひどいもので、じんじん痛んで、
岩のように硬くなった感じだ。 
節々もそこかしこで痛むので、起き上がることもままならない。

ちなみに、朝からの点滴は 生食 痛みどめ 抗生剤 
…と繰り返す感じ。
熱を下げるために座薬と口内洗浄のための薬が新たに加わる。

加えて皮下注射と下痢を抑える漢方薬… 
薬のおせち料理といったバラェティ。

2日、正月休みを明けた主治医が顔を出してくれた。

「…ここまで、ダメージが出るとは予測できませんでした…
   久しぶりの投薬だし、…甘かった…」

「いえ、いえ、こんなんですいません」

すべての症状が鎮静化をたどるのは、3日の夕方くらいからでした。

熱も36度に落ち着き 抗生剤のおかげか口の中も収まってゆく感じ、
それ以外の症状も、よくなっているのがわかる。

白血球も上がり、通常の病室に戻された。

念のため皮下注射の2本体制は変わらないものの、
点滴の数も減る。

胃痛、そのものはなくなってはいないものの、
ギョワー!ギョワー!!から、シクシクへと戻った。

4日になり、

「胃は内視鏡で診てみましょう 予約入れておきました」

  …?…内視鏡?…それは、噂に聞く…胃カメラってやつか?

「せんせい。この症状はどう考えても副作用ですから…
   そこまでしなくても」

「いやいや この症状は、僕も副作用では診たことがない。
   なにかあるかもしれないから…」

5日は、もう完全に復調した感じ…これくらいになると、
外泊していた患者さんが戻りはじめ、
新たに手術を予定する患者さんも入院してきて…
病院は騒がしくなってきた。

1階の売店も営業をはじめ、僕もトコトコと出かけては、
週刊誌を読みあさったり、サンドウィッチを買ってきて、
スープに浸して食べたりしていた。

試しに体重計に乗ってみると 
年末から6kg体重が落ちていた。
ちなみにこの期間、お風呂はもちろんシャワーも浴びていない。

煮沸したタオルで体をふくだけの毎日。冬でよかった。 
それでも、替えの寝巻のない僕は、手術着を着て生活していた。

だらんとして ペラペラで、前や後ろを紐でしばるだけのやつを 
毎日着ていたので、同室の患者さんの付き添いの方には、

「手術ですか?大変ですね」と声をかけられていた。

それでも替えのパンツがないのは困るので、
近所に住む篠塚さんに連絡して、買い物を頼んだ。
正月早々、まことにどうもすいませんでした。

6日、胃カメラの日。

この経験は、貴重だと言わざる負えない…
というかそれ以外に感想はない。

後で聞くと、周りの友人はけっこう飲んでいて、なんてことはない 
という感想でしたが、僕は駄目でした。
途中、何度も引き抜いてしまいたい欲求に襲われました。 
苦しいというより、体が遺物に占拠される感じ、
エイリアンが入り込んできた感じ。

こういう攻撃は、苦手なんだと改めて実感した。 
釣りバカ日誌のハマちゃん…

笑えません ぜんぜん。

まあ、それでもカメラを引き抜かれてすぐ、
「どうでした?」と医者に尋ねる余裕くらいはあった。

「…問題ないですね。食道と十二指腸に、
  少し炎症がある程度、悪い腫瘍や目に見える潰瘍もありませんね」
との応え。

そうだろうそうだろう。だから言ったんだ。

この報告をもとに、後で主治医と話したのだが…

「うーん。じゃあなんだったんでしょうね?」…と首をかしげていた。

どうしても副作用のせいだとは納得していないらしい。

まあ、なんもなかったのであるからよしとしましょう。
次回への備えです。

翌日、最後の血液検査…なんと白血球は、
19400!!もあった。

打ちすぎでしょ注射(笑) 
一時、さがった血小板も回復していた。

ということで 退院してきました。 
気がつけば7日。 
寝正月でした。

ちなみに、入院中、一度、
腫瘍マーカーをとっていたらしく、

「…あっそうそう もんやさんマーカー下がってますよ」と
 レイの折れ線グラフを見せられた。

唐突でびっくりしたのだが 
AFP値:12000がAFP値:5200まで落ちていた。

今回の副作用が大きいかどうかは別にして、
本来はこいつを下げるための投薬ですから、
なんにしろ下がったのはうれしい。
ちょっと涙が出た。

1月の末にレントゲンと併せてもう一度、チェック 
2月の頭にCT という流れで、
マーカー値がどこまで落ちてくれるのかが当面の焦点です。

そんなこんなで、お世話になっている皆さんに 
ごあいさつもできずほんとうにすいません。
心からお詫びします。

昨日、帰宅して、年始のごあいさつを拝見しているところです。
今年も、一日一日 大切に参ります。 

皆さんに幸多かれと願っています。


検査結果のご報告[紋谷のソコヂカラ]

投稿日時:2009/09/24(木) 11:14

今朝、血液の検査とCTを撮り、
さきほどその結果を聞きに癌センターに行ってきました。
 
AFP(腫瘍マーカー)値は 4100
 
3年前に体の異常を感じて病院に行った時の値が
5000位でしたから、いよいよ上がってきたなあ…
という感じです。
 
◆◆◆ 多少省きますが以下、会話形式+αで参ります ◆◆◆
 
他の血液データーで、目だった異常は、GPT値がかなり高い… 
 
「もんやさん お酒けっこう飲んでますか?」 と聞くので
 
「いいえ。週に1、2度 深酒はありませんが…」と応えると、
 
「このAFP値の高さだと他への転移は考えられますね…
 もしかしたら肝臓に転移していうのかも…」
 
というので、
 
「先生 CTの画像はまだ上がってきていないのですか?」 
と聞くと
 
「さっき確認したら、まだだったのですが…
 えっとどれどれ…あっ!きてますね」  
 
パソコンに広がる僕の輪切り画像。
マウスをいじると画像がどんどん切り替わる。
 
首…肺…内臓…下腹部…
 
これが自分の断面かと思うとかなり気持ち悪い。


 
以前は大きなネガフィルムで見ていたので 
この画像のコンパクトさは少し衝撃。
 
先生は、おかまいなしにどんどん切り替えて画像を診ている。
 
「…肝臓には ないですね …う~ん 肺には…
 以前押さえ込んだところに 影ができてますね」
 
「首のリンパにあった腫瘍はどうですか?」
 
「あれえ?…こっちは 変らないですね …というか 
 目だって見えない…造影剤入れないとわからないかなあ」
 
「先生?ということは、ボクの数値を引き上げているのは 
 この肺の腫瘍ということですかね」
 
「…うーん そうですね…ただ頭はCTで撮っていないので、
 100%とはいえませんが…」
 
「…けっこう高い数値なのに、あまり転移がないというのは 
 どういうことなんでしょう」
 
「もんやさんは…いい方のケースと言うことですね。 
 少し、極端な言い方になりますが、この数値なら
 体中に転移していてもおかしくはない。
 場合によってはもっと値が低い人でも、
 肺の中にボコボコ腫瘍が出来て、
 倒れて救急車で運ばれてくるなんてこともある。 

 癌細胞は変異するんです…AFP値が低くても、
 癌自体は進行しているということもあって、
 そういう人は10位の値で、そういう症状が出た」
 
「…えっ?…つまり AFT値では計れないこともある 
 ということですか?」
 
「そうですね 腫瘍マーカーは癌の進行を計る一番の目安
 ではありますが、絶対なものではないということです」
 
「そうなんですか それは初めて知りました 
 …整理すると、数値が高いということは、
 癌は順調に進行している(笑)、

 でも、体調や他の部位への転移などの状況を鑑みると、
 最悪の状態ではない…ということですね」
 
「そうですね」
 
ここで、考える。
 
免疫療法のおかげなのか? 
ボクの体のメカニズムの力なのか?
 
そこのところはわからないが、
同じ状態の他人よりは “強い作用”が働いているようだ。
 
ただ、4100という数値は絶対的に高いし、
楽観できる状態ではもちろんないが、

…まあ、よしだ。
 
「先生…抗がん剤を12月に入れようと思います」
 
「そうですか」
 
「理由と呼べるほどのものではないのですが、
 こう考えるのは間違っていますか?

 …いま 最悪でないならあせって投与しないで 
 区切りの12月に入れてみたい。
 ひとつは、数値を引き上げている根源が肺の腫瘍なら、
 しめたものではないか。
 ボクの抗がん剤は、肺に転移した腫瘍にはよく効きますよね…
 ぎりぎりまでひっぱって、叩くことで
 最大公約数の効果を見てみたい。
 
 そこでの数値の落ち具合を見ると、今後の予測が
 見える気がするんです。
 今の段階で首の腫瘍が大きくなっているなら…
 なかなか効き難い場所ですから、
 早急に叩いておかなければとも思うのですが、
 肺なら効く…しかも間を空けてますから効きもよいかなと(笑)
 …そういう風に思うのですが…」
 
「確かに 間欠治療という手はあります。
 抗がん剤ではあまり用いないのですが、
 確かに連続して薬を入れすぎることは、
 癌細胞に薬に対する抵抗力をつけることにならないとも限りません。

 よいと思いますよ…では、抗がん剤投与を念頭にして、
 12月に、また検査してから、判断しましょう。

 …日程はどうしますか?」
 
 「10日が誕生日なので…そのあとで?」
 
 「では、14日に血液検査してCT…造影剤入れましょう
 …はい予約OKです」
 
パソコンに映る僕のデータを見ながら、先生がつぶやく…
 
「…◆□●○?」
 
「…えっ?」
 
「48歳になるのですね」
 
「あっ!?はい。」
 
病気と治療以外のことは一切お話しにならない先生ですので
…聞き漏らした
 
「還暦は無理かもしれませんが、50歳は越えてゆきましょう」
 
…ははは 冗談 なのか? …いやいや(苦笑)
 
「わかりました よろしくお願いします」
 
 
◆◆◆
 
というのが もんや最新の状況です。

相変わらず 最高のご報告といかず…誠にすいません。
 
蛇足に想う事は…
 
想像することは 出来るが 現実は 現実 
 
期待することも 出来るが 現実は 現実
 
どう死ぬかより、どう生きるか …ここは曲げないでいたい。
 
 
今日の検査の1週間前くらいから気持ちは落ちていました。
頭で理解していても、心に重石が乗っているようでした。

どうあれ、検査から主治医との話しを乗り切ると 
重石が、取れている。
 
ここは不思議だ。
 
…もしかりに、最悪の結果だったとしても、これは同じ。
だったらだったで、開き直ることが出来る。
過去に出来たので 出来る。
 
結論がでないことを、悩むことが一番愚かなことなのだが、
そうそうに達観は出来ない。
 
最悪でもまあまあでも、結論が出れば 心が立ち向かう。
そういうことだと思います。
 
少し前に おもわず唸ってしまった 言葉があります。
バカボンドの武蔵のセリフ…
 

 あなたは 神に完全に支配されています。

 その前提を踏まえた中で、あなたは完全に自由だ。
 

※一字一句は、正確ではないと思いますが、ニュアンスはこうです。
 
 
ボクは、あまりこういう精神論に
気が向かない性質なのですが、
この文句の前半部分は、僕自身も小さい頃からよく考えていて、
人の人生は、神様によって予め決められているもの。
…と、どこか考えていました。
 
でも、だからなに?
 
…の結論は、判断に迷っても、結果失敗の選択をしても、
それは決まっていたことだから
くよくよすんなよ…という具合に解釈していたのです。
 
まあ、神様に責任転嫁ですね(笑)
 
でも、このバカボンドのセリフ…
 
「…あなたは 完全に自由だ 」
 
は素晴らしく。 

見事に心に落ちたのでした。
 
これが正解だ。と感じました。
 
 
先日、NHKで作者、井上雄彦氏の 特集をやっていました。
ストーリーは考えない。登場人物になりきることが勝負で、
なりきることが出来れば言葉が生まれる。
 
登場人物らしからぬことをさせてしまうと…
死んでしまうんです。
と語っていた。
 
ネームに命を削って対峙している姿に、
ああ、ここまでしているんだ…と驚き。
 
だから、ボクなどではたどり着けない
領域に行けているんだなあ…と納得。
 
たとえたどり着けても 
表現する力が備わっているということも大切で、
そこのところが うらやましいのでした。
 
以上でございます。

大人の通信簿 つづき[紋谷のソコヂカラ]

投稿日時:2009/06/18(木) 13:08

行ってまいりました。 
午前中採血をして、午後に出直して、先生から検査結果を伺うという、
いつものパターンです。 
 
このいったん帰って…出直すというのがけっこう精神的に辛い。
また、ボクの場合、検査結果を聞きに伺う場合、
待合の混雑を避け、通常の外来が終了する 
15時くらいに…出向くのですが、
外来の診察室と入院病棟を、頻繁に行ったり来たりする
先生のタイミングもあって、
結局は、待合で待つことになるのですが
…この時間も辛い。
 
平常心 …唱える弱さが恨めしい。
消化器内科と泌尿器が同じ待合コーナー 
癌センターのいちばん奥になります。
 
そこまで行くのに、他の待合の前を通るのですが
…まあ今日は 人の多いこと多いこと。
 
「もんやです」
 
と受付に診察券を出すと…

「あっ!? もんやさん!…先生、待ってたんだけど
…いま 上に(病棟に)上がっちゃったんだよねえ~
 少し、待っていてね」
 
…と ベンチに座っていると 
…しょこたん先生が 通りかかかる。
 
「あっ…もんやさん …いかがですか?」
 
「まあ まあです」
 
「ままですか?」
 
「はい。まあまあです」
 
「それはよかったです」
 
「はい」
 
特に注意もアドバイスも ご指南も ないのだが、
このゆるい感じがよい。

和ませていただいた。
 
 
待合にはドラマがあります。
 
「はい。○○さん、では、尿道にカメラ入りますからね
  …痛みが出るんで…その前に座薬入れてもらうんですよ。
 なので、当日は少し早めに
   …ええっ…来ていただくことになります」
 
にょうどうにカメラ?!!!
なんという恐ろしい会話だ。 
 
看護師と話しているのは 
おじいちゃんとその奥様か…
 
その歳で、そんなに辛いことをしなけらばならないのか。
そんな顔しないで…ボクには耐えられないかもしれないけど、
あなたはだいじょうぶ。
 
「どうしよう?」
 
「どうしようって、仕方ないじゃないか」
 
ほとんど、泣いている女性と旦那さんらしきふたり。
 
「どうしよう?」
 
「…オレが聞きたいよ」
 
「…(涙 涙 )…」
 
無言
 
この2人は、診察室に呼ばれ…5分で出てきました
 
「…よかったね」
 
「ああ…」
 
腕を組んで廊下を歩いてゆく後姿に…
 よかったんだね。

よかったよかった。
 
とつぶやいてみました。
 
…ほどなく 「もんやさあん~」 と呼ばれた。
 

前置きはない。すぐに検査結果のお話し。
 
「…数値いくつですか?」
 
「うーん こんな感じかなあ」
 
今時は、パソコンの画面を見ながらのやりとり、
数値はグラフ化されているので、
前回からの上昇度合いもわかりやすい。


 
「…なるほど…あがってますね」
 
「そうですね。」
 
数値は1000を超えているものの、
ボクが予想した数値(根拠はない)よりは下でした。
前回の倍は覚悟していたので、
2000は軽くオーバーしていると思っていたから。
 
…で、いつものやりとりの結果、

抗がん剤の投与は、9月の血液検査とCTの結果を見て、
判断することになりました。
 
数値が上がってくるということは、
病巣の転移も予想され、転移はその臓器を蝕む恐れがあるのですが、
ボクの体調や血液データと考え合わせ
…現段階で、そういう判断になったということです。
 
以前も書きましたが、治癒への完璧な道筋がない以上、
その判断が是か非か…を決める
わかりやすく正しい答えはないので、
今日の時点での結果をどう捉えるかは難しいのですが…
 
赤点の通信簿を受け取り、合格点に向けてのプランがなければ、
頑張りようがないじゃないか。
 
確かにそうですし…
 
また、抗がん剤の投与を、そのプランと信じ、
とにかく、投薬だ…骨髄が壊れるまで 
投薬だ… という判断をするべきではないのか。
 
そういう方もいるかもしれませんが…
前者に悲観したり、安易に後者を選択しない
そういうのが自分ということでしかありません。
 
ということで、日常の体調管理を整え、
なにか異常があれば、いつでも外来を訪ねる
という約束をして、診察室をでました。
 
わが主治医が、マスクしているし、
載せてもよいというので…お写真掲載します(初登場)


ちなみに、マスクを外されて素顔は、
現代医学に関わる医者さんというより、
明治の文豪か、学者さんといった風貌です。
 
病院の外に出ると…どっと疲れた感じですが、
自分の体が思いのほかがんばっていることと、
すぐに抗がん剤を入れなくて済んだことへの、
安心感が少し遅れて心を埋めてゆく感じでもありました。
 
思えば、再発してもうすぐ2年です。
 
13回の抗がん剤の投与を経て、
いま、こうしています。
 
いま、こうできていることに感謝だなあ~と思います。
 
空を見上げると、
梅雨曇りの中に青空が覗いて、陽がさしています。
 


うーん。
一昨日も昨日も…黒い雲だらけで、
いまも、この少しの青空以外は
ぜんぶ梅雨の曇、このわずかな青空が嬉しいなあ。
 
なんて…こういう時は、少し感傷的(笑)になるものです。
 
電源を切っていた携帯をONにすると、
着てます 着てます … 

「検査結果はどうでした?」

というメールの数々…ありがたいことです。 
 と同時に、やはりこの場で、
心弱気自分をさらけ出すのは控えよう…と思いました。
 
どうにも、こらえきれなくなった時以外は…。
そんな日は来ないと信じていますが。
 

大人になっても、通信簿[紋谷のソコヂカラ]

投稿日時:2009/06/12(金) 22:07

来週、3ヶ月ぶりに検査です。
 
どんな結果でも、受け止める自信があるようで…ない。
 
このあたりは、人の持つ弱さ…と客観視することで、納得させる。
 
薬さえ入らなければ、元気であり、元気であることは当たり前になり、
そういう時間が長ければ長いほど…検査は恐い。
 
その都度、現実に引き戻されるというより、
自分の強さを改めて引き出す作業が、難しい。
 
もう、開放してくれ…と思う。
 
楽しむとはいかないまでも、
 
なんでも来なさい…という開き直りとまではいかないにしろ、
 
出来ればもう少し…揺れない心は持っていたい。
 
「大丈夫ですか?」「元気ですか?」
 
こういわれる度に、揺れる自分が情けない。
 
「大丈夫だよ」「元気だよ」としか応えられないことが、
…困るというか、申し訳ない。
 
 
 
ペプチドワクチン療法や樹状細胞療法も、
 
結局は、決め手ではないことも分かったし、
 
その意味では、明るい未来を連想して頂く、返事が出来ないことが
申し訳ない。
 
申し訳ない…なんて、考える必要はないんですよ。
 
そういわれることが、申し訳ない。
 
 
出来れば、「もう、だいじょうぶ」と言いたい。
 
 
…という 愚痴を書く。
 
 
ある人は、あるときに、
 
物事の理のひとつとして、
 
「情けは人のためならず」
 
といった。
 
突き詰めれば、そうなのだろうと思う。
 
人生、最後はひとりだから。
 
でも、この訓示の本質は、情けの前に…
「いらぬ」という文字がつくのだろう。
 
ボクに、限れば、
 
情けのありがたさを、病気を通じて実感した。
 
頂いた、情けを返さねば…という気持ちは、
生きるエネルギーにもなった。
 
 
 
大げさに言えば、生きていてよかったと思える出来事がいくつもあった。
 
今もある。 

幸せなことだと思う。恵まれたことだと思う。
 
ここは、ほんとうにそう思う。
 
それは、ボクの存在が云々ではなく、ボクの周囲の人たちが素晴らしいのです。
 
 
◆◆◆
 
紋谷さん

 ●●です。
 大変ご無沙汰しています。

そして、昨年秋にはメールをいただいたまま
お返事もせず大変失礼しました。
困っている人と助けるのは●●家の勤めであると
亡き祖父の教えを守っただけです。
 
~中略~

紋谷さんのブログが更新されているのを拝見するたび、
心の中で拳を握りしめていました。
 その一方で、遊ぶことにも真剣になろうということで、
 紋谷好きも大好きなロードバイクを昨年から本格的に取り組みました。

今年からレースにも本格参戦するようになり、
昨日はMt.富士ヒルクライムにも出場してきました。
4月はツールド草津、5月は佐渡ロングライドで
雨のなか泣きながら210キロを漕いできました。

8月には乗鞍のヒルクライムを控え 練習時間を
どうやって繰り出すかが目下の悩みです。
 
ジロやツールを見るのも大好きなので、
こちらのトークは盛り上がりそうですね。
それではいつかお会いできますこと楽しみにしています。
 
◆◆◆
 
こういう、メールをくれる、その友人が素晴らしいと思うのです。
 
何気ない文章に見えるが、
 
よく見ると、随所に大人の配慮がまぶされている。
 
がんばれの ひと言より、何倍も嬉しい。
 
会いたいなあ~と思わせてくれる文章であって、

生きる力を引き出してくれる。
 

…ということで、たかが検査であります。
 
検査は、単なる通信簿。
 
ビビッていてはいられない。
 
それを受けて、どうするか…
 
もらった赤点をリカバーする、前向きな対処法は、
なにもないかもしれないが、
 
まずは、いやおうもなく頂く、落第点をどう受け止めるか…
そういうことが大切なんだと、思え、思うのだ、思わなければ。
 
そこが、大人の通信簿への回答…いや解答なのだ。
 
 
好まない赤点を頂くことになりましょうが…
来週は、検査結果の報告をします。
 
 
※今回は、「観るべきは、こんな韓国映画」の予定でしたが(笑)、
気分がこんなんでしたので、心境を吐露する文章にしてしまいました。
 
愚痴は、聞く側の心情を考えれば、まったくのご迷惑。
 
この手の押し付け話しは、あまり、書かないことに決めていたのですが、
まあ、たまには、よかろうと…
回りの素敵な皆さん、広い心で、ご勘弁ください。


 
 
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