紋谷のソコヂカラ 2009/3

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佐伯祐三 が好きです

投稿日時:2009/03/23(月) 18:31

漂白で退廃的で、破天荒でおまけに早逝…の才人。
いつまで経てど、ないものをねだる自分が、
もっともあこがれるタイプです。
 
従って、全部の言葉の意味を逆にすると…
一番なりたくないタイプということになります。

なりたくない自分に、たまになっていることを
感じることがなにしろストレスではありますが、
なんとかならないように、目指す人になろうと
がんばっても、結局は、少し足りくらいが人生だそうですから、

仕方ないなあ…なんて思っている自分がまた嫌です。
 
詩人は 山頭火 画家であるなら 佐伯祐三 。
山頭火の話は以前、少しだけ、した覚えがあります。
 
佐伯祐三は ほんとうに好きで、 
同系ですと荻須高徳や横手貞美さんなんかも好きですが、
この2人は“まんま”ユトリロ…ヴラマンクの強さが入った
佐伯祐三に較べると、ひきつけられる強さには、
差があるように僕は思っています。


 
昨年の5月に 横浜のそごう美術館で「佐伯祐三展」がありましたが、
どうにも都合がつかず行けず仕舞いで、
とても残念…やはり本物を身近に見る機会は逃したくなかったなぁ…と。
もちろん、各所蔵の美術館を訪ね歩けばよいのですが、
全国津々浦々ですからね。
 
 …と やはり、神は見捨てない…(笑)
 
箱根のポーラ美術館で「佐伯祐三とフランス」を
観る機会に恵まれました。ありがとうMさん。
 
佐伯祐三だけの展示ではなかったのですが、
フランスを愛し、フランスで死んだ、彼を表すには、
フォービズム(野獣派)のほかの画家と併せて、
その足跡を浮き立たせるというコンセプトは、とてもうれしく
…さすがポーラ美術館という、企画展示でした。
 
「巴里の裏道」を数多く描いた彼の作風は、
日本人が驚いた表現である…
と横光利一氏は評しました。


 
「赤い色を愛し、多少黒ずんだ黄い色を愛し、
そして東洋人の強い黒を愛した」とは
中河与一氏。
 
「どんなちいさなレプリカでも、
  部屋の壁に額で飾れば、
  その空気を変える力をもつ画家であろう」 

紋谷税氏。


 
ちなみに、 僕自身、こういう書き方をすると、
「絵画が好き…」なんと高尚な趣味の持ち主…
などと誤解されそうですので、
断りますが、
なんでもかんでも好きなわけではありません。
 
したがって、いわゆる美術館巡り…
なんてことも特にしませんし、
ヨーロッパの絵画の常識や、
美術史なんてのも興味がありません。
ゴッホもセザンヌも、ロートレックも…
どうでもよいのです。
 
「やっぱり、ヨーロッパ絵画の黄金期は、
  レンブラントからバルビゾンだよねえ」
 
……はあ?… 
てなもんや三度笠です。
 
学生時代、下落合に住んで、佐伯祐三の絵を観る機会があって、
好きになり、文献を観たり、調べたり、
でまた好きになり…
ただ、それだけの話しです。
 
実際、佐伯祐三の関する文献は数が多く、
彼がアトリエ(仕事場?)を構えた、
下落合に、はじめての上京で住んだということが、
縁だったような気がします。
 
まあ、ひとりくらい「好きな画家」がいるという
人生もよいものだと思います。
 
しかし、ポーラ美術館 
展示期間が長いことは分かりますが、
図録売り切れはないだろう。
増し刷りしてくれよ ほんまに。
 
いつか、どこかで手に入れたい。

では。


春は苦手でございます

投稿日時:2009/03/19(木) 10:58

空中に、どおんと飛び上がり、
そのまま大気圏を越え、宇宙から地球を眺めるような感じで、
考えて見ますと、この時季の日本は、
自然界のメカニズムでは、まだ眠っているらしいです。
 


なんとなく おめでたい行事なども多く、
新しいはじまりの象徴のように言われる春ですが、
ほんとうはまだ、寝ているのですみんな。
 
寝ているのに強引に起こされたフレッシュマンも
フレッシュじゃない人も…五月病。
みんな寝ているのに、ひとり浮かれて咲き誇る桜は、
逆に狂気、あやかしの代表。
 
昔から、満開の桜の根本には○○が埋まっているなどと、
物語の世界では取り上げられるのも、この所以ですね。
 
 
勝負は梅雨明けから ここからがほんとうに 
生命あふれる季節です。
 
だから、春だから …気合入れるぞお~
なんてのは力みすぎで…
いいのです適当で。
 
目覚まし鳴ったけど、眠い…
すこし布団の中でうだうだ…
そんな時季です今は。
 
そう考えると、起きて、支度して…
よし出勤と…駅に向かったら…
今日、会社休みにしたからと…
連絡が…それがGWですかね。
 
たぶん 「起こしてごめんな」という
ご褒美なのでしょうが…だったら 
初めから起こすな…ということですね。
 
 
◆◆◆
 
3ヶ月ぶりの検査結果がでました。 

「+811」 
 
12月のラストが320でしたらか、
またもや「間を空ければ、上がるわなあ~」です。 
前回の毛の話も …裏を返せば 伸びるということは、
薬の効用がなくなったということです。
 
僕は、今回決めていたことがありました。
 
数値が4桁なら、即抗がん剤投与。 
3桁なら、投与はまた延ばす。
ということです。
 
もちろん科学的な根拠や論理的な道理は、いっさいありません。
ただの決めです。
 
そう決めてことを主治医に話すと
「よいのではないでしょうか」という返答。
 
「もんやさんの癌は薬で治る癌 
 でも、運悪く簡単に治らない患者さんがやってくるのが、
 ここ癌センターです。

 中には、とにかく薬を投与し続け、
 ぼろぼろになって亡くなってゆく方もいます。
 少し、数値があがれば、人は怖くなります。
 ちょっと下がれば期待もします。
 でも、大切なことは、どういう時間を過ごしたのか…
 なんて自分は思います。でも、決めるのは患者さん。
 だから、その意味において、
 もんやさんの考えは正しいと思いますよ」
と重ねて言われました。
 
実際、癌細胞は倍々ゲームで増えてゆきます。
もし、完治させる力を持った薬があるなら、
早く打つにこしたことはありません。
 
それは、癌細胞 増殖しすぎてしまえば、
その薬も最大効力を発揮できない可能性があるからです。
 
でも、そんな薬はなく、
しかも入れられる量が限られるなら
…作戦は変わってきます。
 
いかに、長く、食い止めるか…
そしてその手段に絶対はありません。
 
数値の上昇に惑わされ、しゃにむに入れ続け、
廃人同様になって、そもそも薬も入れられず…さようなら
おくりびと…では芸がありません。
 
 
このような「数値と現状と受け止め方」の話しは、
どこまで書いてもわかりにくいですよね。
ごめんなさい。
 
先日、わが弟からも

「…でさあ…その数値って…どうなるとダメなの」
というシンプルな疑問を投げかけられました。
 
白黒わかりやすくしてもらわんと適わん。
ということなのでしょう(笑)
 
「高くなれば 癌は進行している印 13.4が正常値 
 それ以上なら 癌はどんどん増殖する。
 それ以下でも、根治したわけではないのが、癌という病気。

“押さえ込めている”という意味でしかなくて、
 また、上がる可能性はあり、それが再発。
 そして、どこがゴールかは人それぞれ。」
 
これが正しい表現だと思います。
 
また、多少の数値の上昇が 
即、体の異変を体感できるというものでもなく、
人それぞれのゴールの手前に近ければ近いほど、
自覚症状がひどくなると思います。
※これは僕の癌の場合で、必ずしもそうじゃないです。
 
このあたりは、他の人からも数多くの疑問をいただきます。
 
「癌なら 入院していなくてよいの?」
「お酒とか飲んでよいの?」
 
からはじまり
 
「なんで、そんなに元気なの?」
「癌なら具合悪くないの?」
 
などなど、 
ご心配からの発言ですからありがたい限りですが…
 
どうしてもの疑問でしたら…
直接、お会いしてお話ししたほうが早く、そうしています。
 
もう200回は 同じ話しをしてきました(笑)
…でも、やはり、ご理解には限界があり、
そういうものだと思います。
 

この3ヶ月を使い、体をうちから
高める作戦に出ようと思います。
一番は、免疫療法。 

攻撃が効かないなら、守りを強化です。

とはいえ、前にお伝えした、ペプチド療法…
なかなか“ここは”、というところが見つかりません。
 
簡単にいえば、
「僕の癌のペプチドを専門に行う病院がないのです」
また、精巣腫瘍を扱っていなくても、
泌尿器の治療全般で探しても
 
臨床エントリー自体に基準があって、
たとえば、「白血球のタイプ」ひとつとっても、
適合しなければ、治療は受けられません。
 
ここも、難しい。 
限られた機関が限られた分野で取り組んでおられ、
基準が存在するのです。
 
また、そこに「技術」があり、
特許などの権利も発生していることで、
情報の共有がなされてもおらず、
だからひとつひとつ当たらなければならないのです。
 
そんな中、精巣癌の実績があり、
適合条件も合致して、
「よし」となった某地方大学も見つかったのですが、
その後の、ヒアリングの結果、
今までの治療の効果が芳しくないようです。
 
重ねて、情報を収集してゆくつもりですが、
少し早く生まれすぎたのですね…
あと5年先なら状況は変わっていたと思われます。


 
また、樹状細胞療法は、導入にかなりの設備がいるようで、
一般の病院で行っているところは少なく、
また、こちらも同様に僕の癌にジャストフィットはしません。
 
ということで、以前行った 
活性リンパ球療法を本線に 
柔軟に動こうという感じです。
 
あとは、単純ですが、
心と体に気持ちよいことを
どんどんしていこうということです。
 
という、腹積もりで、おりますので、
みなさん今後ともよろしくお願いします。

毛はじゃんじゃんと生え…少し怖いプールの話し

投稿日時:2009/03/11(水) 17:13

年末12月に最後の抗がん剤を入れてから、
3ヶ月…キレイに抜け落ちた体中の毛が、
じゃんじゃん 生えてきました。
これはつまり、骨髄などに溜まってしまう、
薬の成分以外は、体から抜けたというサインであります。 
 
以前にも書きましたが、
抗がん剤の副作用は、さまざまあり、
それは患者の体質やその薬の成分や投与する
量の違いでもあるのですが、体毛が抜けるというのは、
みな一様のようです。
それでも、薬の種類×個体差はあります。
 
僕の場合、顔の髭や頭髪が抜け始めるのが
薬投与後の2週間後くらい、
髭と髪の毛は同じタイミングでバサバサお抜け落ちてゆきます。

もう、慣れたもので、
「おお…そろそろ来るかな」てなもんです。
 
2回目に試したTINという薬のセットでは、
いままでは抜けなかった、眉毛やまつげ、鼻毛までもが抜け落ち、
改めて、彼らの存在意味を再確認したと…
これは以前お伝えしました。
 
この場合は、まさに「全身パイパン状態」…

以前、新宿2丁目のオカマのマルオさんが、
「私、全部…剃るの…毛ってさ…
 昔の自分を思い出して嫌なの…
 だから、全部剃っちゃってね… で、描くのよ」
と言っていましたが、

その方面の趣味のない僕には、
何をいっているのやらさっぱりわからず、
…ただ今更、同意するのは、体毛がすべてなくなると、
子供に帰った気がするというニュアンスです。
 
「よお、ボウズ…ちんちんに、けぇ~生えたか」
なんて言いますが、大人=毛(笑)みたいなことは、
大人になって、なくなってみて、改めて感じます。
 
女性の場合は、大変なようです。
癌センターの各ナースステーションには、
「散髪希望」を記入するノートが置かれています。
 
身だしなみを整えるという目的は、表向き。
抗がん剤で抜け落ちてしまう前に、坊主にしてしまいたい、
こういう患者さんのためにこのノートはあります。
 
散髪には、委託された美容師さんが、やってきます。
以前、この美容師さんに僕もお世話になりました。
 
「呼ばれて病室に行くと、カーテン締め切っていて、
声をかけても返事をしない、あきらめて帰ろうとすると、
どうぞ…と招かれる、
ではと、準備をしていざ、ハサミを入れると…
そのまま大声で泣き崩れる…
女性の場合、こんなことはしょっちゅうですよ」
 
「抗がん剤で抜けた髪は、また生えてくる、
 なんて言ってもね。
 今、なくなってしまう髪の方が大切なのでしょうね」
やはり、髪は女の命 辛いものなのです。
 
 
さて、抜けた体毛ですが、ではいつ生えてくるのか
といえば、これも個体差らしいです。
僕の場合は、投薬後、2ヶ月でまずは 
顎の髭が生えてきます。こいつが一番。
でも、はじめは、赤ちゃんのような
ふわふわした産毛が生えてきます。
しかも、全部、白髪だったりします。
 
いったん抜け落ち、生まれ変わって…
毛そのものの性格が変わったのか?
などと思いますが…いったん剃り、
また待っていると、
普段どおりの髭が生えてきます。
 
その次は下の毛と腋の毛、
このあたりが映え始めると、
髪の毛もぽつぽつと生えてきます。
 
で、まあ 現在は、こんな感じなのです。


 
一昨年、1ヶ月単位で、抗がん剤を投与していたときには、
生える間もなく、次の投与…でしたから、
この生えてくる感覚と言うのは、なかなか嬉しいものです。
 
髪が抜けて、つるつる頭でいても、
そのまま外に出歩くことは、苦ではありません。
むしろ、好きだったりするのですが、
僕の場合、そのまま外に出ると
「怖い人」に見られるらしいので、
それは、平穏な社会にいらぬ動揺を
引き起こしてはいけないと思い、
普段は帽子をかぶっています。
 
顔の髭は、いったん生え始めると、
その勢いはすごいもので、
髪の毛の育つ10倍くらいの速度で成長します。
 
つまり、頭は生え始めの「坊主」…
顔は髭だらけ…という状態に今、
ある訳で、これはこれで、へんな人です。
 
ただ、顔にも頭にも毛がないと、
いくら元気に振舞っていても、
病人に見えるらしいのですが、
こんな、へんな状態でも、
毛があるもんやは、元気そう…と言われます。
 
まあ、「元気なさそう」より「元気そう」の方が、
嬉しいので、これもこれで良しです。
 

手足の麻痺が取れないので、体が鈍りまくり、
あまりに重いので、年明けから、
スポーツジムに通い始めました。
 
といっても、マシンはもちろん、
走ったり、漕いだり、飛んだり跳ねたり…
がそもそも出来ないので、泳ごうかと。
 
初めは、公共施設でないものかと探しましたが、
プールそのものがなく、駅前のフィットネスクラブは、
なんかこ洒落ていて、性に合わず…
それでは範囲を広げて探したところ、
戸塚と藤沢の間くらいの住宅街に“S”を発見しました。
 
まずは、見学に…と行ってみると、
住宅街のど真ん中なのに、畑に囲まれています。
 
しかも、入り口には大根やらかぶやら…の100円市が。
しかも施設がかなり年季が入っています。
 
でもまあ、のんびりしていてよかろう…とさっそく、
格安で、プールとサウナのみ利用のコースを申し込み、
翌日から通うことに…
 
行って、びっくり、あまりの体力のなさに愕然としました。
 
僕は、泳ぎは得意を自負していて、
小学校時代から、大会の選手でもあり、
早くも遠くにも泳げる自信があったのですが、
ぜんぜん体がついてきません。
水に乗れないどころか、初めの50M泳いで、
もうヘロヘロなのです。
 
50Mプールの8コースは、スクールに3コースが取られ、
残り、5コースのうち、1コースが歩いて往復するコース、
後の4コースのうち、2コースが1レーン往復…
残り2コースが一方通行で、泳ぎが達者な方のコース、
当然、こちらで泳ぎ始めたもんやでしたが、
どうみても70歳に近いおばさんに、
追いつかれ、置いていかれる始末。
 
「これは、まずい。これほどとは…」と改めて、
今の体力のなさを再認識しました。
 
はじめは1kmをその日の目標にと考えていましたが、
死に物狂いで500mがやっとの初日でした。
 
友人Y君からも、
「そんなもんですよ。徐々に徐々に…無理せず、
 ゆっくり、継続してゆくことが大事」
と諭され、翌日からは、
とにかくゆっくりと泳ぐことを心がけました。
 
…2ヶ月たち、いまではしんどいものの
1Kmは普通に泳げるようになりまして、
体の切れも戻ってきました。
 
こうなると、余裕も出てきて、
回りを見渡すようになってきました。
 
このスポーツジム…
正確には、このプールには若者はひとりもいません。
若者どころか、ほとんどすべてが60歳以上の
おばちゃんとおばあちゃんなのです。

余裕の出たある日、プールを見渡して数えてみました
 
「…ひい…ふう…みい…よお…」
 
プールの中に人は30人 
うちどうみても60歳以上が30人 
うち女性25人。
 
ここは老人専用のプールなのか? 
いやいやそうではありません。

では、この時間帯がおかしいのか…
いやいや今日は土曜日の昼さがり…

もちろん、そもそもは体力回復とシェイプアップが目的…
別に回りに誰がいようがおかまいなしなのですが…
それにしてもあんまりに極端な光景…。
 
体型も女の命…なのでしょう。
健康の為もあるのでしょう、
お喋りの場でもあるのでしょう。
 それにしても…。

…で、どうも、最近、お尻に視線を感じるのです。
 
もちろんご存知の方はご存知だと思いますが、
僕はシリ…尻…ケツが自慢です。
 
小学校3年のプールの授業の時に、担任の相場先生に

「もんや君のお尻はかっこいいわねえ」
と褒められて以来、僕はお尻だけは人に自慢できる
“部位”なのです。
 
どうも、最近、このケツに視線を感じるのです。
プールのおばちゃんは みな元気です。 
水着もカラフルです。
筋骨隆々のおばちゃんもいます。

さっきから、休みなく泳ぎ続けている女性などは、
遠泳の競技に参加するがごときスタイルです。
 
老人が元気な場所です。健全で素晴らしい光景。
 
視線…? 
自信過剰なんじゃないの? 
そうですよね。 
そんなはずはないですよね。
 
…それに見られても減るもんじゃなし…
ですしね。
 
温水プールなのに…サブいぼが…
これも気のせいですよね。
 
おわり。

銀座の定食と戸塚の再開発

投稿日時:2009/03/05(木) 23:28

銀座8丁目にある居酒屋さん、お昼は定食を出し営業している。
以前、職場が近かったせいで、よく利用させて頂いていたが、
ここのところ、とんと…もう7,8年くらいはご無沙汰をしていた。
当時は、よく混んでいたなあ…という印象でした。
 
久しぶりに東京に出た折、思いついて立ち寄ることにした。
1時を少し回ったくらいでした…いっぱいか…
と入り口の引き戸を開けると
中は、がらがら 

…あれ? お休みか?と 戸惑ってしまった。
すると、奥から、「いらっしゃい」の声…


 
席に着く前に、注文を先にする段取りのお店なので、
出てきた女将さんに、
 
「しょうが焼きの定食に納豆を…」と伝え、席に着いた。
「まだ、1時なのに…お休みかと思いましたよ」というと、

「最近は、暇でねえ…」と苦笑交じり…
 
なんとなく暇を持て余していたお話し好きの女将さんは、
僕が、数年前までよく顔を出していたことを知ると…
 
「よく来てくれていた客さんの会社が
 銀座から引越しをしてしまってね…
  もうお昼はいつもこんなものですよ」
 
なんとなくの会話が彼女の火をつけてしまったようで、
それから1時間…テーブルの僕の前に座り、
女将さんのこのお店の成り立ちについて、
家族のことまで、拝聴することになってしまった。
 
元は麻布で魚の卸業を営んでいたことに歴史は始まる。
おじいさんが銀座の店舗をいじり、
現在の形になったのがもう数十年前。
 
近隣の同業者が、次々と店を畳んで行くなか、
父母息子…今はお嫁さんも含め、
助け合い商売を続けておられるそうだ。
 
商売の秘訣はなんですか?と問うまでもなく、
 
「ウチはね。材料は国産しか使わない。
  だって味が違うもの。高いけどね。
  そこのところは変えられないわ」
 
「先代が比較的派手な方だったんだけど、
   夫はまじめなひと。そこがこの商売にはよかったの」
 
「息子にはよく言うの…どんなに成功しても仕事は一生懸命やりなさい…
   日々のがんばりが物事のはじまり」
 
…話しを引き出してしまったのは僕のせいですが、
おかげで、しょうが焼き食べたんだかなんなんだか…
味も分からず、お茶を代わりしても、もう一杯お代わりしても…
出るに出られず、なんだか長居をすることになってしまいました。
 
壁に掛けられた往年の歌舞伎俳優のサインの色紙に
纏わるエピソードもそうですが、
昭和の初めから続く、この店の歴史は、
なかなか興味深いものでした。
 
よい話し、ありがとうございました。
 
拝啓…もと8もしくは7関係の皆さん、
たまに思い出したら 寄ってあげてくださいな。


 
 
僕は、神奈川県戸塚に住んで…17年になります。
故郷の静岡に感じが似ているせいか、どうも居心地がよい。
なんといっても、緑が多い、しかも原生の姿で残っている。
 
しかし、住み始めた頃から較べると、
都心に近いこのあたりの土地は、少しの空き地も残してはくれず、
マンションや戸建てがニョキニョキと建ち、
おそらく人口は倍近くになっていると思う。
 
僕の住むあたりは、昔、吉田茂が葉山の自宅から、
国会の在る霞ヶ関まで、ハイヤーだか自家用車だかを飛ばす際に、
東海道の“開かずの踏み切り”に怒り、
新しく国道にバイパスを通してしまった…
その…横浜新道の近くです。
 
このあたりは、住宅街なのに…日用品の買い物をする場所が…
オンボロなダイエーしかありません。
ボロな割には、週末は大繁盛。
大繁盛なのだから、キレイにすればよいのに、
ずっとボロなまま。
 
どれくらいボロかというと…
営業妨害になるので控えますが(笑)
そう笑っちゃうくらい…ボロです。
 
近所には、まともにご飯食べるところもありません。
正確に言うと…出来てはつぶれ、出来てはつぶれ…
多いところは、ここ5年で5件、
飲食のテナントが替わったビルがあるほど。
 
飲食店だけでなく、和菓子屋、インテリアショップ、ガソリンスタンド、
100円ショップ、なんとコンビにまでもが…
どんどん潰れてゆく。
 
昔から…ここ17年ずっとです。
 
正確には、ダイエーの近所に関わらず、
戸塚という町そものもがこういう性質の場所だからなのだと思います。
 
自宅と駅 
自宅とダイエーの往復…
それなりのものは横浜や藤沢に買い物にゆけばよい。
日用品はダイエーで。 

この傾向が進み、近所で何かをするということがなくなるドーナツ化。
 
そんな戸塚が変わろうとしています。
 
「戸塚西口再開発」


 
大げさではなく、40年前からの悲願がやっと着工。
 
江戸時代からの宿場町戸塚は1887年の東海道線開通で一挙に人口が増え、
現在の乗降客数は一日あたり27万人。
 
この人口の増加に、都市整備が追いつかない典型のモデル。
 
件の、開かずの踏み切りのせいで、駅の東と西は、
人の行き来が分断、とくに西口は昔ながらの商店街が密集して、
道路は狭く、駐車場は未整備、防災上も不安…という地域。
 
ここにメスが入りました。
 
悲願と言うのも大げさではなく、それほどいびつな構造の町です。
整備計画の前提となる「住民の声」を覗いてみると…
もう文句や要望の嵐。
 
2012年~14年頃には 完成との話しですが、
滞らずに進めて欲しいものです。
 
戸塚といえば、ブリジストンと日立さん。
両社の従業員がお昼を食べにやってくる…
そんなお客さんが9割の中華料理屋は頑張っている。
店主の威勢が乗り移る店は、繁盛している。
 
そういう活気があるお店。
味は…まあ普通ですが(笑) 
この環境下で頑張っていることは応援したい。
 
限られた常連客に極度に依存しているということは、
危険もあるということ。
工場ひとつが移転するだけで、
小さなお店はすっとんでしまう。
 
移転する側の事情はさまざまなれど、
社食の不味さを補ってくれる店に、感謝などない。
 
この中華屋さんが、野菜炒めのキャベツを国産に
こだわっているとは思えませんが、
それでも、奥さんとパートのおばちゃんと
汗水垂らして働く姿は、
銀座の居酒屋の女将さんが言っていた、

「目の前の仕事をまじめに継続」

この当たり前の言葉を思い出させてくれる。
 
それにしても、これほど、外食が地盤沈下している場所…
ということは、戸塚在住の家族、我が家の奥さんの手料理は
その分、どんどん上達しているのでしょう。

うらやましいものです。はい。

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